アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
最後に強羅花壇を見ていただいて終わりにしようと思います。D-HOTELまでの作品は構想は1985年くらいまでにしていまして、実現したのがたまたま今年になったのですが、この箱根の強羅花壇が一番アップツゥデイトで先ほどのパブリックの考え方というのが一番よく出ている。素材に関してはいろいろ考え方があると思うのですが。僕はコンテクストを読むことは非常に重要だと思っています。自分の建築の方法として、まずプログラムを分析すること、プログラムを分析しつつ最終的にはプログラムを越えようと思っているのですが、プログラムがひとつの軸です。もうひとつがコンテクスト。物理的なコンテクストだけではなく文化的なコンテクストも含めてあらゆる意味で僕はコンテクストが重要だと思ってます。ここは大自然の中で非常に恵まれた環境にありまして、都市に対して悪態をつく必要もないのでガンガンコンクリートで壁をつくるのは止めにして、一見回りを信頼したようなつくりをしています。実はそうでもないのですが。淡路島の山田脩二さんといっしょにやった敷瓦とか、列柱の木とか、大きな壁の漆喰とか、そういった素材を選びましたのは、これはプログラムが和風旅館だということで、これをネガティブな意味にとらずにポジティブに受け入れて、さまざまな素材を許容する形で計画ができるんじゃないかと思いまして、こういう素材にいろいろトライしています。
ですから自分の建物の中でまさか屋根瓦を使うとは思ってもいませんでしたし、銅板葺とかいろいろあるのですがそれなりに面白い経験をしました。
これが120メートルの大列柱廊です。本当はこういう扉もあまりつけたくなかったのですが、箱根は冬が寒いというので一応こういう扉をつけております。
列柱はこのように光に感応するわけです。だから列柱があるから初めて光が見えると思うのです。列柱があるから初めて風を感じるし列柱があるから初めて見ずを発見する。人間にはオブスタクル、障壁、抵抗があって初めて物が発見できるというようなことがあると思うので、このような物として壁も捉えているし柱も捉えています。しょせん壁とか柱は本当はなくて居住空間が支えられればいいのですが、必要悪としてどうしても存在せなしゃあないわけですが、それを取り払っていく方向に未来を見たミース・ファン・デル・ローエのような建築家のつくり上げた建築空間が基本的には人間をスポイルするものになったと思っています。つまり完全な均質空間で柱も壁もなにもないところで空調も完全にきいて、無限に天上と床がフラットに繋がって、さあ、あなたたちでここで何をやってもいいですよ。自由に間仕切って自由に使って下さいといわれたときに、人間はそういう空間に投げ出されたら実はなにもできなくなると、ただそこに一本の木があったり柱があったり、壁があったりするとそこに向けて人間は何かの意味を見いだして、それからその壁に穴を開けたいとか柱を倒したいとか木を育てたいとか価値を見いだしていくと思います。そういった物として壁とか柱を考えています。
よっぽどのテクノロジーの進歩がない限り、おそらく人類の居住空間は重力がある限りは柱と壁とによって支えざるを得ないので、どうしても柱と壁の存在形式ということに意を払わざるを得ないと思っていますし、柱と壁を使って光や風や水や、それから人、人がまたきれいに見えると考えています。列柱をずっと見え隠れしながら歩いていく。そういうふうなものと出会っていくような風景をつくりたい。
これはガラスブロックの滝でこれがガラスブロックの池。水路からざあっと水が流れてガラスブロックの裏側には宴会場のロビーがあります。ガラスブロックの池の下にはプールのホールがあります。
これがプールの屋根です。
これはこの敷地全体の要の場所に建つ、旧閑院宮別邸といって宮様の別邸です。ここを出発点としてこの旅館は始まったのです。ここを出発点に旅館が増築に増築を重ねていたものを、ここと離れを残してすべて取り壊して新しく新築したと。今回のプランニングもここを基点として出発しています。
ほとんどが崖っぷちにありますから地下に埋められたようなかっこうでつくられていますが、ここは平坦部の地下にあるプールです。和風ということをどのように捉えるかということに関わるんですが、もともとプールというプログラムは和風にはありませんから、プールはプールで地下に洞窟をくりぬいたような形でつくればいいかなと考えたわけです。
こういうふうに突然へんてこりんな物が見える風景をつくっていこうと思いまして、これはいろんな材料やいろんな形が集合していて、実際それも狙ったわけですが、非常にクラシカルなプランニングに統御されています。発想したときがちょうど一連のコンペを終わったころだったものですから、クラシシズムの可能性を問う、という意識が続いていたわけです。
クラシシズムの方法に基礎を置くということで、和風ではあってもインターナショナルに通用する建築でありたいというような思いを表現しているのと、もうひとつは敷地の地形を細かく読み込んで、それに対応していくことで、そのクラシカルなプランニングが崩れていくところに和風との出会いを見る。日本というのは基本的に様式を崩していくところに独自の様式を洗練させた美学をつくり上げた民族ですから、崩していくというところに和の精神を見出して、その崩した部分に純粋な和風に建築が置かれるというふうになっています。
物の存在形式しか建築家はデザインできませんけれども、空間というのは物の存在が消え去ったところに残るある種の気配のようなもの。それが記憶に刻み込まれて空間として知覚される。それは人間が本能的に知覚できるものじゃないか。そういうところを決して忘れずに、つまり表面的な形の遊びに走らずに、一本柱を建てるとそこを訪れる光や風や水や人の意識や、それから物理的な力が発生して、そういったものに反応した物の存在のあり方をつくりたいなと思っていますし、そういうふうな物の存在のあり方を通して何か、しょせん柱や梁やガラス窓や、そういったものを使ってつくり上げていくプリミティヴな世界ですけれども、そういったところに創造力を飛躍させるような世界を表現できるんじゃないかなと思っています。
どうもありがとうございました。