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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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出江 寛 - 「綺麗」より「美しさ」—二十一世紀の建築(都市)に何が必要か
「綺麗」ということ、「美しい」ということ
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東西アスファルト事業協同組合講演会

「綺麗」より「美しさ」—二十一世紀の建築(都市)に何が必要か

出江 寛HIROSHI IZUE


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「綺麗」ということ、「美しい」ということ

伝統というものは、古臭くてカビ臭いものだと思っているときに、「どうしてこんなに美しいか」というものを現代建築の中に込めていかなければいけないのではないでしょうか。ステンレスと硝子、これは未来永劫ツルツルピカピカです。滅びるということを知りません。確かに、公共建築物や住宅などが、あんまり早く滅んでしまうと、これは困ります。強くあることは大事だろうと思います。しかし、現代建築の何がつまらないかというと、そのステンレスや硝子が感覚的にあまりにもドライであるところです。ドライすぎるということが人間の情をもはねつけてしまうんですね。

かつての建築は、煉瓦造があり、瓦葺きの家があり、木・土・石で出来ていました。皆さんご存じのように、煉瓦が非情に吸水性の高いものです。瓦もそうですね。京都の南禅寺に水道橋がありますが、煉瓦の吸水性が高いことから、そこにはシダやランやいろんなコケがいっぱい生えています。それこそ自然との共生だろうと思います。しかし今、木・土・石を使って大きな建築ができるわけありません。法律が許してくれません。では、どうしたらいいのかということを考えなくてはいけません。例えば瓦は吸水性が高いために、寒い冬の日、吸水した水が凍るときに膨張して瓦が割れたりはじけたりします。で、瓦から、どんどん吸水性を取っていって、吸水率をゼロに近づけたわけです。現代の瓦は、吸水性がないために、色彩的・形体的には何かに似ているけれども、素材感が全然違います。皆さん新幹線に乗ったときによく見てください。関ヶ原の駅の辺りの集落を必ず見てください。まぁ、美しいこと!もう涙が出るほど美しい。ところが、毎年通るたびに減っていって、青い瓦屋根になったり、青いトタン屋根になったり…青い瓦、青いトタン屋根、青い塵箱、全く、アホやなあと思うわけです。

煉瓦造りが減っているのは地震のせいではないんです。日本という国は高温多湿なため、煉瓦にカビが生える。それが不衛生だからなんです。現在、煉瓦タイルがよく使われていますが、それは皆さんの心の中に古い煉瓦造に対する思いがあるからなんですね。昔の材料は吸水性が高い。それは人間に優しいということなんです。ステンレスや硝子といったドライな材料は、そのまま人間の心・情に対してもドライです。ウエットな材料は、人間の心をスーッと吸ってくれる。その煉瓦造に憧れて煉瓦タイルを貼るんですね。

しかし、煉瓦造の横手に煉瓦タイルの建物が建ったとき、なんとこの煉瓦タイルのみすぼらしいこと。どうしてこんなにみすぼらしいのでしょう。煉瓦タイルは、表面を割ったら中から白い磁器質が出てきます。一方、煉瓦は掘っても掘っても煉瓦の色をしています。材料が正直なんですね。煉瓦タイルの「吸水性ゼロ」は、科学的、技術的に強さという意味ですぐれてはいますが、材料の優しさという心の部分が欠落しているのです。経済性と合理性、表面的な美しさだけを追いかけていったのが現代都市です。世界中がそうなっています。それが今世紀の失敗だった。「シンプル・イズ・ベスト」が、いつか「シンプル・イズ・ベター」にそしてそのうちに心が「シンプル・イズ・ナンイモナッシング」に。そういう建築に変わっていったのが現代建築なんです。

二十一世紀に何を求めるか、それはマインド〈心〉だと思います。それは、材料や素材に大きく目を向けていくことではないでしょうか。アンドレ・ジードの言葉—このいらなくなったものがなんだってこんなに美しいんだろう—煉瓦や瓦がどうしてこんなに美しいのか、と。古典の形や色彩がどうしてこんなに美しいんだろうということを、もう一度よく考える必要があると思います。それを現代建築、二十一世紀の建築の中に考えていかないと、またその失敗を繰り返していくと思います。

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