アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
宮脇多分、会場でお聞きの皆さんは、新宮さんの作品に、いつどんなときに、どうしてあんな作品が考えつけるんだろうとか、いろいろご質問したいことがおありだろうと思います。その辺のところを、今日は僕が代表してお聞きするわけだけれども、まず、動きの予測についてです。私たち建築家の場合も、ある空間をつくりたいと考えて、図面をいろいろ措いても、でき上がってみるとかなり違うものになる場合があります。新宮さんの場合、動きの予測は、たとえば80パーセントなのか、50パーセントなのか、どの程度までつかめているものなんですか。
新宮私は、1つ1つの作品それぞれが、それまでとは全く違った作品をつくっているつもりです。それまで経験したことのないことを、今度はこういうことをやってみたいと、その都度考えます。やってみたいということの中には、わかっていることもある程度はありますが、やはり、初めての試みをやって、でき上がったものを見てみたいという気持ちがいちばん強いですね。それから、まだ技術やなにかで新しいものが出てくる限りは、本質的には同じことを2回繰り返す気持ちは全然ありません。ようやくこの新しい原理が使えるとか、次回はこの方法を思いきって使ってみたいということです。
職業的に芸術家を看板にして、次々に作品を生み出すなら、もう少し安全なやり方があるんでしょうが、私は相変わらずのおっちょこちょいで、1回毎に冒険をしてしまうんです。そして、だんだん厚かましくなってくるんです。クライアントは、あまり冒険、冒険というと心配しますから、あたかも自信ありげにいってはいるものの、実はでき上がったものをいちばん見てみたいのは、つくった本人の私なんです。
宮脇作品を設置して、初めてのときはやっぱりドキドキするものですか。
新宮そりゃしますよ。うまくいったときは、物陰にまわり込んで、飛び上がって喜んでいるんです。
宮脇昔、芸大の音楽のほうにいた仲間で、オーケストラのスコアを書いているのがいました。オーケストラのスコアというのは、全楽器の譜面がそれぞれ別々にあるわけで、それを1人でものすごい量を書いているんです。あるとき不思議に思って「そんな譜面で、どんな音楽になるのか、本当にわかってやっているのか?」と聞いたことがあるんです。すると彼は「だいたいわかるよ。おまえだってどんなものになるかわかって図面を描いてるんだろ」といわれたんです。図面の場合は、模型なんかもあってそれなりにわかるけど、音はどうしてわかるんだか、いまだに不思議なんです。
新宮さんの場合はどうなんでしょう。作品の部分的なチェックなどに模型を使ったりするんですか。
新宮模型はつくります。それも、すごくたくさんつくります。しかし、空気の流れは実物大と変わらないものがきますから、模型ではうまくいっても実物でうまくいかない場合やその逆などがいろいろ起こります。
宮脇今度はこんなことをやってみようという発想は、それ以前の作品をつくる過程の中で気がついたことから出てくるのか、それとも、なにかを見たり考えたりしている中から生まれてくるんですか。
新宮まあ、それもありますね。1つは原理的なことの貯金がいろいろあるわけです。作品化はまだしていなくても、考え方が面白いものはいっぱい持っているんです。たとえば、なにかを真っ直ぐに立てないで、2度くらい傾けて立てたら、そのものの意味が全然違ってくるはずなんです、重量との関係とか。そういう、面白いなと思っても、きちんと作品化してとってあるわけじゃなくて、原理としてとってあるものがあります。それと、私の場合、作品は場所でできています。その場所を見る前に、予め今度はあれをつくってみようと考えるんではなくて、そこに行って初めて、自然になにをつくるかが出てくるんです。
宮脇場所に触発されるのを待っているわけですね。それは、私たち建築を設計する場合も全く同じです。私なんかも随分、敷地に座り込んだり、歩きまわって構想を練りますからね。
新宮そうですね。だから、ここはあなたにぴったりの場所です、といった場所より、ちょっと変わったところなんですが、というほうが、新しいものが発想できる可能性がある場合があります。
宮脇「ウインドサーカス」のときに、先方が提供してくれた場所が気に入らなくて、違う場所を探したということが書いてありますね。
新宮現実的には、やはりある程度は条件を呑み込んでやらなければいけないので、乗り越えていかなきゃいけないんですが・・・。
宮脇伊東隆道にキラキラまわるパイプの作品の発想はどこからネタを仕入れたんだと聞いたら、「ゴルフ練習場でシャフトがキラキラ光っているのから」ってうそぷいていましたが、それからよくまあ、あれだけたくさんの作品が生まれたものだとは思います。その辺はやはりさすがですね。
伊東隆道の場合は、金属部分のたいへん優秀なプロの強力な助っ人がついていて、ベアリングだとか回転部分の金属部分を引き受けていたらしいんです。ところが、あなたの場合を見ていると、アーチストじやなくて、まるで技術者、エンジニアのように、メカに関して極めて厳格にやっておられる。また、そうでなきゃうまく動きませんよね。その辺の勉強は、芸大がそんなこと教えてくれるはずがないし、どこでしたんですか。
新宮いまでも、私が知っている知識というのは、最低限のことだけしか知りませんよ。どちらかというと、そういうことの専門家になっていくことのはうがこわいと思います。ベアリングとかそういったものは、まだまだ進歩していますから・・・
宮脇ベアリングの進歩ってどういうことですか。
新宮たとえば、万博の頃とは随分違っています。新しい素材が出てきていますし、回転性能がよくなったり、メンテナンスフリーになったり、水中で使えるベアリングが出てきたりといったことです。ですから、原理的にはできるけれど、現実的にはコストや素材の面でもう少し後にとっておいたほうがいい、もう2年か3年もすれば日常的にできるようになるかもしれないと考えてとってあるアイディアが私にはたくさんあるんです。
宮脇模型のレベルとかスケジュール的なことで温存している考えがたくさんあるということね。
新宮それはいっぱいあります。まだまだ簡単にはやめられないはどね。
宮脇その技術がないと成立しないという部分と、まあなくてもとにかく回ればいいという部分はどんな割合なのかな。シンプルだから、それほど技術だけに頼っているようにも見えないんだけど。
新宮シンプルですが、これだけやってくれればというのが、実はなかなかたいへんな部分なんです。ですから、話は少し飛びますが、私自身がつくるのは模型だけです。模型までです。あとはつくってもらうわけですから、つくるところが勉強してくれなければ困りますし、つくってくれるところを探す努力もときには必要になります。
宮脇以前は造船所でやっていましたね。造船所は、かなり高度なものを手と機械を半々に使いながらきちんとつくれる場所として、たいへんふさわしい。風力も流体を扱ってもいるわけですから、新宮さんにとっては息がピタッと合うところだと思います。ただ、だからといって、飛行機工場では駄目で、やはり造船所がいいように思います。あそこはどういう経緯で一緒にやるようになったんですか。
新宮造船所と私の関係は、ローマでしがない貧乏学生だった頃、大阪の造船所の社長さんがイタリアに来られて、私が案内役を務めたんです。それがご縁で社長さんに気に入られて「こんな貧乏してやり続けることじゃない。日本に帰ってこい」といわれて、帰国しました。それがちょうど万博の少し前だったんです。その方は、多分すでにその当時、私の中に万博まで結びつけるなにかがあるのを見つけておられたんだろうと思います。私自身は視界が狭くてなにも見えてはいなかったんですが、「帰国したら万博でなにか仕事ができるんじゃないか、そのために必要なら造船所で手伝ってやるから帰国してこい」といわれて帰ってきたんです。