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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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伊東 豊雄 - メディアの森のターザン
パラレルな社会の中の建築(1)
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伊東 豊雄TOYO ITO


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パラレルな社会の中の建築(1)
養護老人ホーム八代市立保寿寮
養護老人ホーム八代市立保寿寮
広縁から緩くカーブした屋根が面している庭を見る
広縁から緩くカーブした屋根が面している庭を見る
居室が面している南東側外観
居室が面している南東側外観

私は現代社会の人間関係、人とモノとの関係、あるいはモノとモノとの関係を示す例として、コンビニエンスストアを例え話にします。次女はワンルームマンションに移っていきましたが、夜寝るときに、みんなが同じプランの空間で、同じ方向を向いて寝ているのを想像すると、不思議な気がするといっています。パラレルな空間は現代都市の中では、特徴的なことだと思います。どこへいってもパラレルな空間ばかりです。

その最も典型的な空間が、コンビニエンスストアだと思うのです。すべてのモノが並列で中心もないし序列もありません。すべてのモノが透明あるいは半透明なパックに包まれています。今の若い人たちがポリカーボネイトといった素材を好んで使って住宅をつくっていたりすることと、こういったパッケージの持っている表面の感覚は、無意識と思いますが大いに関係があるでしょう。今の人たちは匂いがあって土がぼろぼろ落ちてくるような野菜には耐えられない。そのパッケージのフィルムがやはり人とモノとの重要な関係を形成していると思います。そういう中にわれわれは住んでいます。家族の関係だってそうだと思います。そんな関係の中に住みながら、本当に心地よい空間というのはいったいどういうことだろうかと、ここ十年ぐらい考えてます。

人間関係が透明になってきてしまう。あるいはパラレルなものになってしまう。そんな状況に置かれているとき、建築は存在し得るのだろうか。コミュニケーションができるのだろうか。二つの矛盾する関係を私はここ十年ぐらい考えてきました。

これから最近のプロジェクトをいくつかご紹介したいと思います。

養護老人ホーム八代市立保寿寮

94年に八代市の郊外につくられた老人ホームです。これも一種の家です。50人の老人がここに住んでいます。難しかったのは、敷地が埋立地だったことでした。古い温泉町で、ここにはほとんど若い人はいなくて、老人ばかりが住んでいます。反対側には美しい自然があります。天草の島と向かい合った海があります。

最初にプランですが、まさしくパラレルな中心がない空間を意図的にここではつくっています。長さ100メートルくらいの廊下が中央に伸びていて、その陸側に個室が2層にわたって並んでいます。海側には、コモンスペース、集会室、食堂、厨房、事務関係の部屋、温泉を使ったお風呂、洗濯室、工房といった部屋がそっけなく並んでいます。

フラットルーフにしたいとか、屋根に穴を開けたいとか、建築家としてのいろいろな建築的試みはたくさんあるわけですが、ここで私がこれだけはつくりたくないと思うものがありました。50人の人たちが楽しく暮らす家という、なにかシンボル的な空間をつくりたくないと思ったのです。随所に小さな中心がありますし、その中心の上にちょうど光が落ちてくるような場所を意図的につくっていますが、決してそれが全体を支配するような空間にまで至らないことを意図しました。

現代の公共建築は、強いシンボルを求めると同時に、分断された空間を求めます。これは公共建築を設計した方ならば、だれでも強く感じていることだろうと思います。どういう部屋を何平米、そして音の間題、熱の間題あるいは管理の間題がありますから、できるだけその間に風通しのあるようなことはしてほしくない。それぞれの空間は閉じていてほしい、と要求されるのが通例です。そのようにして客空問は不透明な存在になってしまいます。私が、透明にしたいというのは、別にガラス張りにしたいということではなく、もっとその部屋と部屋との間に関係をつけていきたいのです。ヨコの関係もそうですし、タテの関係もそうです。この小さな50人の施設でも、そういうことをかなり考えようとしました。実際にいってみると、たいていのお年寄りたちは、一日ぼーっと外を見ています。

きれいな自然がある一方に古い町があり、その間に古い町とは相当に違うこのフラットルーフの空間があります。そこで田舎のおじいさんやおばあさんたちが、いったいどういうふうに住むのか。瓦屋根だったら喜んで住むのだろうか。そういう問題では決してないだろうと思ったわけです。

50人が一緒になるのは、食事のときだけですが、みんながその風景を好んでいるとは思えません。むしろ三々五々小さな場所に、寄り添うように数人ずつが固まっている、そういう空間を求めているわけです。田舎であろうが都市であろうが、現代的な嗜好だと思います。

この老人ホームはある大きな家族をなんらかのかたちで象徴しているわけですが、強い中心を持つのでもなく、強い完結性を持つのでもなく、町に対しても開いているし、海に対しても開いています。そういう建築をなんとかしてつくりたいと思ったわけです。私が理解していただきたいのは、その開いていくことが表面の素材によって町並みに合わせるとか、あるいは自然に合わせるとか、そういう問題では決してなく、この空間の構成がどのように成り立っているかが問題なのです。「中野本町の家」をつくってから二十年後の私が考えている、大きな意味での家のあり方を示している一つの例です。

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