アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
フランスで毎年1人、その年のグランドプライスを建築家に与える、日本でいいますと建築学会大賞のような賞があります。優れた業績を残した建築家を選ぷのですが、その賞の審査員に、ことしから外国の建築家を5、6人入れてやろうということになって、パリで開かれた選考会に参加しました。
そのとき、フランス人の議長が冒頭にいったことで非常に印象的だった言葉があります。フランスはご承知のようにエコール・デ・ボザールの影響を非常に強く受けてきたところですね。彼にいわせると、フランスは戦後わりと安易なかたちでモダニズムというものに移行していったけれども、旧体制、つまりエコール・デ・ボザール出身者でなければ仕事ができないという、その体制だけがずうっと残ってきた。それがやっとここへきて、新しい若い建築家たちによって次第に勢力のバランスが変わってきた。そこまでくるのに戦後3、40年かかっているわけです。ですから彼らにとっては、これから「何か始まる」という時代がやっときたということです。逆にいうと、そうした古いものの重みがそこまであって、やっとそれをはねのけたという感じなんです。
つまり、フランスの間題は、日本のように軽く変身できる体質を持っていないということにある。それがフランス建築の、戦後からいままでの停滞を、もしかしたら象徴しているのかもしれない。しかしそういうものがはねのけられた後は、ちょうど19世紀の終わりの伝統的な建築から新しいモダニズムに変わったのと同じように、それは自らが闘い取ってきたものだけに、きわめて重みがあるといえるわけです。
ジャン・ヌベールという建築家がことしのグランドプライスを取ったのですが、彼が最近設計しました「アラブ文化記念館」というのは、モダニズムの建築としてはおそらく世界で、この数年間の最高傑作の一つに入るんじやないかと思います。こうした作品を評価できるという力をパリという地域社会は、文化として持っているわけです。
したがって、建築というのはそんな簡単に着せかえ人形的に瞬時に変わるものじゃないんです。もちろんそういう試み自体はいいのかもしれませんが、全体の流れはやはりどこかでしっかりとらえていかなきゃいけないという印象を強く受けました。
それから、さきほどの国際化、地域化ということの中でもう一つ申し上げようと思います。建築は美学として見ることもできるし、社会工学的な立場から見ることもできる。最近建築というものがわれわれの社会の中で、いろいろな意味で注目を浴ぴてきたことのひとつに、広い文化という文脈の中で見直そうという立場が、鮮明になってきたことがあると思います。
私の親しい友人の画家にこの間会ったら、すごく嘆くわけです。「絵描きというのはいまはだめな時代だ。いまは建築かデザインだ。デザイナーと名のつく者はみんな忙しい。グラフィックデザイナー、インダストリアルデザイナー、それから建築デザイナーと」。やはり時代時代で波があるわけで、決して絵が滅ぴるわけではないのですが、そういうふうに建築が近年、注目され始めているということの中には、現実に建築がわれわれの日常生活に非常に近いところで結ぴついているということもあると思います。また一方において、メディアというのは非常に敏感に社会全体の興味を反映しますから、興味のあるほうにますます増幅させるかたちでメディアが集中するという、一種の増幅現象がそこにあると思います。しかし、建築というのは政治的な関係が非常に強いものです。これは当然といえば当然かもしれませんが、日本でいえぱ内需振興のひとつの柱になったり、われわれが日常的に経験していることですが、たとえばその都市の市制百年を記念するからこの建物はそれまでに建てなければいけないとか、かなり政治的に日程が定められたりするわけですね。
フランスなどでは、建築は非常にポリティカルつまり政治的だということを、フランスの建築家がよくいいます。それは大統領自らが興味を持っている。日本でいうと中曽根さんとか竹下さんあたりが非常に建築に興味を持って口を出すというようなことが、いままでの歴代大統領の中で行われてきた。
現在はミッテランが大統領なんですが、彼は七年間の在任期間があるので、その間に十分建築的なことをやる時間があるわけです。 パリにあるめぼしい場所にめぼしいものを、自分が大統領でいる間に建てよう、つくらせようということで、たとえばルーブル美術館の拡張計画とかオペラハウス、デファンスの計画とか次々とやってきたわけですね。日本でも、地方自治体に行くと市長が在任中に何かやりたいということがありますが、それのもう少しスケールが大きいかたちでやっているわけなんです。
こういうふうに、建築はさまざまな社会的な影響を受けて、国際性も含めて、われわれの周辺でその外的条件をつくっています。
しかし最終的に、逆につくる側の立場に立ってみると、これは意外と昔から、いままであまり変わらない技術だったと思います。もちろんこれからのことはよくわかりません。このことは絶えずクエッションマークをつけて考えなきゃいけないと思うんです。
さて、われわれは何らかの機能を充足するための器をつくるわけですが、建築にはそのことがまず第一にあります。そこで建物として必要な空間をどう表現したらいいか。そこでは形態と寸法の間題と、それをつくる物質というものがあるわけですね。いままでも空間論、形態論というのは、建築を実際に学んだりあるいは研究している学者、批評家によってずいぶんいわれてきたと思うんですが、物質性について話したり書いたものとして、絶えず物中心の見方であって、物質性を中心にして全体を見ようという見方はなかったと思います。もちろん、建築はそういうものが総合されて一つのものになりますから、一つずつを切り離すことはできない。たとえば、あるかたちは、ある大きさに対して非常にいいけれども、大きさが変わると同じ形態でもそのよさが変化していく、あるいはなくなっていくという関係があることも、皆さんよくご存じだと思います。
たとえば、「藤沢市秋葉台文化体育館」の場合、なぜああいう曲面体にしたかというのは、もちろん四角い箱の体育館もつくれないことはないし、そのほうがいい場合もあるわけです。小さな体育館だったらおそらく曲面体にしていないと思います。四角い箱のほうが使いやすいし、空間としても充実感がある。ただサイズがどんどん大きくなってくると、ぼくなんかの限られた経験なんですが、単純な箱では、空間の大きさが要求するエネルギーを十分に充足できない。つまり寸法によってかたちのあり方と包容性が変わってくるわけです。
それは物質系についても同じで、ある種の条件を決定するときにどういうものがいいのかは、いろいろな外的条件とからみ合っているわけです。特にきょうお話しをしたいと思っていることは、単に物質が持っている性能、いわゆる遮音性とか断熱性とかコストとかいうことよりも、むしろさまざまなものを通じてどういうメッセージがそこに託され得るかとか託し得たかということを中心に、話を進めていきたいと思っているわけです。
まず、感覚的な問題があります。やわらかい感じを与えるものとか、かたい感じを与える、非常にシャープであるとか、そういった判断でわれわれは材料を、ちょうど色と同じように選んだり、使います。そうしたときに、同時にそれを託して何がいえるかということも、絶えず考えているわけです。
Pタイルとかミネラートンとか、日常よく使う内装材がありますが、結局ミネラートンを使うときにミネラートンの持っているものをどういうふうに出すか、いま最も伝えたい空間の物質性を表現できるかというところに、本来の使い方があるわけです。すべて建築の場合には効用一点張りというふうには考えないわけです。
そもそも建築家が職能として発生した歴史を見てみますと、材料についてかなり待殊な知識を持った人でもあったということがいえそうです。エジプトというのは、最も古い時代に建築家の職能を発生させたところですが、それまで日干しれんがでつくっていた住居から急に、たとえばモニュメンタルな墓で石を使う。そのときに採掘、切り出し方、加工の仕方、運搬の仕方、そういうものが特殊な技術としてある人たちによって独占され、それが建築家の職能の発生につながったといわれています。それは日本の場合、大工、棟梁が建築職能集団の発生のもとになったのと同じようなことといえます。
われわれは、これから1990年代を迎えるわけですが、コンクリートにしてもガラス にしても、現在はメーカーとかサブコンなどに、技術的に依存しているところが多い。ところが、一方においてはそういうものをどういうふうに使うことが重要なのかを絶えず考えて、それをむしろ逆にコーディネートしていく、そこに職能としての建築家の意味が出てくるのではないか。つまり一つのことだけを知っているのではなくて、多くのことをどういうふうにして統合していけるかというところに、これからの建築家の職能の大きな問題があると思います。