アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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原 広司 - 「集落の教え」と様相論
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東西アスファルト事業協同組合講演会

「集落の教え」と様相論

原 広司HIROSHI HARA


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まちづくりの手法と集落
渋川駅前通り商店街
渋川駅前通り商店街

次は、まちづくりというか家並みをつくるという例です。家並みづくりでは比較的初期の仕事で、渋川駅前の開発です。私がすべて設計したという作品ではありませんが、一緒に考えてやった仕事です。家並みや街並みという言葉はいまは大変ポピュラーで、だれでも使うようになりましたが、これをやりました当時は、家並みだとか街並みといってもなんのことだかだれもわからない。そこでどういうのを街並みというかという例として皆さんに見せていたのが、このポーランドの切妻屋根の続く広場の写真です。

ポズナンの広場(ポーランド)
ポズナンの広場(ポーランド)

ドイツあたりの文化が平行移動してこの東欧のポーランドあたりにも展開しているという例ですが、発生的には、ドイツ騎士団などが東欧へやってきて、商業を営もうとして領主の許可をもらってつくった広場ですから、発生的には商業のための広場です。文化の平行移動ということでは、たとえばベニスの文化がすぐ隣のユーゴスラビアなどにも見られるといったことです。この広場を見ていますと、いままで私が集落でいってきたことをひとことで説明しています。この広場をとり巻く建物は四階建てです。三階建てに屋根裏階を入れて四階ということですが、よく見ると微妙に高さが違っています。また窓の形も似たようなものですが、ちょっとづつ違っている。屋根の形もまたしかりです。ですから、私が集落の話の中でいいました、類似と差異が織りなす秩序の体系としての集落ということを、たったこの広場の写真一枚でも説明できるわけです。

切妻の並ぶ街並みと同じようなものを、渋川の商店街につくろうと思って、というか参考になればと思って皆さんに見せていましたら、結局、切妻にする人もいれば四角にする人もいたりして、渋川駅前の街並みが出来上っております。

渋川駅前通りの街区中庭
渋川駅前通りの街区中庭

ところが、渋川ではもうひとつ街並みをつくった作品が生まれました。こちらは一軒一軒が持っている土地を少しづつ出し合いました。敷地境界に沿った土地を少しづつ出し合って、中庭空間をつくり出しています。この仕事は、大変なエネルギーを必要としましたが、実現しています。これは、その後も続けばと考えていましたが、やはり予想通り、その後は実現していません。その大変さは想像以上でした。細い路地やコートはそれぞれ土地を出し合いながらつくり出したものです。

この仕事は私が集落の教えを知らなかったら実現しなかっただろうと思います。というのは、都市のブロック、街区といわれるものの中には、必ずといっていいほど中空部分、ボイドな部分があります。その部分が快適性を支えているわけです。これは様相論的世界ではなく、機能論的世界の話ですが……。空いているから、まず日当たりがいい、風通しがいい、火事になっても大丈夫である、子供たちや老人たちが憩う場所がある、騷音が聞こえない、などの緩衝地帯になるわけです。世界中どこへ行っても都市のブロックというものには、この中空の部分があると絶対的な確信をもって信じ込んでいますので、それを皆さんに何度も説いたわけです。それでも皆さんはいろいろ迷われましたが、絶対につくったほうがいいんだと説得しました。

今日、都市の住居が住みにくくなっているというのは、こういう空き地がなくなったからなんです。ここでは建ぺい率が八割、角地で九割のところで少しづつ出し合って、総体として建ぺい率は七割五分で建っています。そういう形で皆んなで所有形態を変えないで共有しようということでつくり出しました。将来、こういう計画がまたできるとすれば、そのときには、もう少しうまくやろうと思うこともあります。

ネパールの集落
ネパールの集落

これは、そうした例のひとつで、ネパールの集落です。ここでは、通りというか、中庭的な空間が、演劇の舞台のような使われ方をしています。日本でもかつては集落の中に存在していたのですが、非常にいい、人と人が出会うための舞台装置、そういうものがネパールにはいまも存在しています。もう一度、街並みをつくる機会があれば、そういうものをつくりたいと思います。まちづくりにはそういう装置が大変重要なんだろうと考えています。

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