アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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阪田 誠造 - 身体性美学の建築
子供たちに手づくりの健康を(1)
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東西アスファルト事業協同組合講演会

身体性美学の建築

阪田 誠造SEIZO SAKATA


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子供たちに手づくりの健康を(1)
東京サレジオ学園全景
東京サレジオ学園全景
ドンボスコの舎と小聖堂
ドンボスコの舎と小聖堂

次は「東京サレジオ学園」です。社会福祉法人東京サレジオ学園は、昭和21年、戦争の傷がまだ生々しい中で、戦災孤児を養育するということで活動が開始され、経営母体はカトリックサレジオ修道会です。

敷地は武蔵小金井と小平の境界部分にあり、現在では住宅地に囲まれていますが、食料確保のための農園と牧場を含んでいたというだけあって、非常に広い敷地です。

長い間、三階建てのコンクリートの建物に学校と養護施設が同居していました。学校法人と社会福祉法人の二つの施設が同じ建物に同居していることに対して改善の勧告があり、既存の建物は学校用に残し、社会福祉法人の建物を新たに建てるということで私たちの事務所に設計が依頼せれました。それが昭和五十九年です。それから工事は四期に分かれて実施され、六年ほどかかって完成しております。

一期工事として高校生園舎をつくりました。二期工事は思いがけず多くの補助金がついたので、平屋建ての小学校低学年用の園舎が一つと、五つの小・中学生園舎、さらに神父さんたちの宿舎部分と管理棟、そして小聖堂をつくりました。三期工事でドンボスコ記念聖堂と、地域交流ホームという、図書室、集会室、音楽室からなり、宿泊ができる和室もある施設を建てました。四期工事の体育館が1990年に完成し、ようやく全体が完成しました。

子供たちの家は、できるだけこの環境の中でのびのびとした空間で、豊かな自然と交わりながら、質実で住みやすい家をつくることを目標にして設計しました。ドンボスコ記念聖堂は、聖と俗を分けるという意味もあって、園舎の屋根は瓦で葺いておりますが、聖堂はコンクリート打ち放しで陸屋根でつくっております。

鐘楼があります。これは古い建物にもありましたので、新しい何かシンボルになるものをということでつくっております。コンクリートの塔の上に三つのカリヨンがついていて、12時と6時に鐘がなります。この聖堂を中心にして6歳から18歳までの男子140人の子供たちが神父さんや職員たちと一緒に生活をしています。

園舎と聖堂に囲まれた中庭は土を盛って、盛り上がった庭になっております。ここは第一種住居地域にあたりますので、建物は10メートルまでに抑えられるわけですが、非常に広い敷地であるということと、聖堂ということで審査会の同意を得て12メートルの高さにしております。 地域交流ホームは聖堂に付随し、相当広い敷地ですが、建物がかなり接近する側は高さを低く抑え、なおかつ、その上に屋上は植栽をしています。同時に足元も窓のところまで土を盛って緑を植えています。将来はフジやブドウが育ってきて、緑に埋もれた建物になる予定です。

神父さんたちの宿舎と小聖堂のまわりに池があります。玉川上水の源流として、元々ここに小さな流れがありました。そういう水を残したいという神父さんたちの願いを入れ、また神父さんたちの宿舎は修道院ですから、他の施設と少し距離をとるということや、小聖堂に水を介して光の反射を入れるといったことから、井戸水を循環させて池水にしております。サレジオ会というのはイタリアが本拠の修道会で、恵まれない子供たちの教育に一生を捧げたヨハネボスコという100年前に亡くなられた聖人が創始者です。そういうところから、園舎の屋根はイタリアのイメージということで、黄色っぽいイタリアの土をイメージした色にしようと、五色いろいろとり混ぜて棟毎に少しづつ変え、手づくりのあたたかさというか、のんびりした自然らしさみたいなものを出すように努めました。

園舎の内部はコンクリート打ち放しです。建具は手に触れるところは木製です。質実ながら自然と交流し、のびのびとした中で子供たちが大事に育てられて成人していく家づくりを目指しました。神父さんたちも長い間そういったことを目標にやってきておられ、私たちの共通の課題として取り組みました。

地域交流ホームの和室は、ここを卒園して社会に巣立っていった人がたくさんいるわけです。初期の人たちは、戦争で両親を失った人たちが大勢います。帰る家がない人たちがいっぱいいるわけですから、そういう人たちがここに帰ってきたときにも泊まれる家が必要ということで、地域交流ホームにも和室がつくられております。いまいる子供たちの親が訪ねてきたときにも宿泊できる施設でもあるわけです。

またここには、日本の生活文化の粋というか、日本の伝統を体験できるような場もつくりたいということで、茶室をつくりました。職員も子供たちもお茶を習えるということで、決してぜいたくな茶室ではありません。足場丸太を柱に使ったり、そこら辺に普通にある材料を使って、しかしつくる精神は本格的に茶室をつくるという課題で取り組みました。関東地方で塗り壁、土の壁を塗るというのはたいへんなことなんですが、岐阜のほうから左官の方を見つけてきまして、お金をあまりかけずに、しかし本格的にということで、最後の最後まで実際に施工してくれる人を探しながら、試行錯誤を繰り返しながらつくった小さな茶室です。

小聖堂は、本当に小さな20人も入ればいっぱいの聖堂です。コンクリートを二重に打ってつくり、外も内もコンクリート仕上げです。防水や断熱は二重の間に挟んでいるわけです。祭壇の上にトップライトがありステンドグラスの十字架に光を落とします。朝の光が入ってきて、ステンドグラスの色を壁に落とします。また、祭壇の後ろの壁が途中で切れていて、午後の陽光が池の水面に当たり、ちょうどその壁の切れ目のスリットから祭壇の後ろの壁に光のゆらぎを投影します。朝の聖堂と午後の聖堂は全く違った様相を呈するわけです。ここは、どちらかというと暗い、個人的な祈りの空間をイメージしてつくっております。

祭壇の壁に架けた十字架は、東方とつながりのある形を古い資料から選び出し、それをそのままコピーしてステンドグラスでつくったものです。薄い飴色のステンドグラスですが、座る場所によって、高窓のほうの鮮やかな色のステンドグラスを反映して、赤とか青とかに変化して見えます。聖堂の内壁もすべてコンクリート打ち放しですが、微光を受け留めるテクスチュアを求めて小叩き仕上げにしております。

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