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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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内藤 廣 - 「牧野富太郎記念館」をめぐって
「聴竹居」の先駆性
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東西アスファルト事業協同組合講演会

「牧野富太郎記念館」をめぐって

内藤 廣HIROSHI NAITO


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「聴竹居」の先駆性
「聴竹居」
「聴竹居」

 先日、「聴竹居」という、DOCOMOMOの二十選に選ばれた建物に行ってきました。京都の山崎駅のすぐ脇にあります。藤井厚二という建築家が1928年に完成させた建物です。藤井厚二は、環境工学の先駆者でもあります。

小さな建物ですが、中にいろいろな換気のシステム、空気をどうやって流通させるかというシステムが入っています。小屋裏換気、床下のクールチューブ、建物の日照をベースにした建物の配置、それから部屋の配置。デザイン的にもかなり面白いのでそっちに目がいってしまいますが、そのような環境工学的なつくりかたを、すでに1920年代の後半、モダニストの藤井厚二が考え始めました。これは彼の自邸ですが、いわば実験住宅です。

換気システムについては、上のところを少し開けると小屋裏の空気が抜けるようになっていて、北側のほうから風が吹いて抜ける、とか、建物全体に対して空気がどのように回るかというようなことを考えています。

換気システムの一部。床下の通気口。
換気システムの一部。床下の通気口

現在、借りて住まわれている方がいて、ちょっとお話を聞きました。昨年の京都の夏は、とっても署かったので、どうしても耐えられない日が一日や二日あったらしいですけどご扇風機ひとつで、それ以外の日はきわめて快適に過ごされたそうです。

理由はいくつか考えられます。ひとつは緑の陰がクーリングの働きをしたのではないか。それから建物のつくり方、風をベースに組み立てられているので、そういうことも大きいのではないかといわれていました。昔こういうことに取り組んだ素晴らしい人がいますので、みなさんも機会があったらこうした先人の知恵をご覧になってください。

ここからは少し批判的な話になります。『新建築』誌(1999年12月号)に書いたので、おもちの方は読んでいただくといいと思います。

「ファンズワース邸」−スぺ−スシップモダニズム
「ファンズワース邸」
「ファンズワース邸」
「ファンズワース邸」テラス
「ファンズワース邸」テラス

みなさんご存じのミース・ファン・デル・ローエの「ファンズワース邸」です。私は去年の春、見に行きました。以前はなかなか見られなかったんですが、ミース・ファン・デル・ローエ財団ができて、申し込めば一般の人でも見られるようになりました。ひと言でいうととてもチャーミングな建物です。ディテールのつくりかた、部分的な完成度、それから全体のプロポーション、とても素晴らしい建物です。

だけど、問題があるのではないかと思います。つまり、近代建築はここから始まって、この建物の魅力に引きつけられてモダニストたちは疾走してきたわけですが、近代建築の基本的な問題がこの中にあるのではないかと私は感じました。

ひとつは、ここにはファンズワースさんという、インテリな女性が住んでいたわけですけれど、この建物はどちらかといえば、ファンズワースさんのショーケースなわけです。ファンズワースさんはミースの恋人だったようですけれど、この建物が終わる頃にけんか別れをしています。その後の写真を見ると、テラスに全部網戸を入れています。要するにこのテラスは普通では使えないわけです。虫がくるし、いろいろと不便があります。室内にいれば換気はできない、本当のパッケージです。彼女は半ばやけっばちでもあったのでしょうが、このテラスに網戸を張りめぐらせて暮らしていたということです。

私はこの建物を貶めるつもりはありません。とても素晴らしい建物です。だけど決定的な問題は、パッケージだということです。エアコンディションということを基本にして近代建築はできてきたのだろうと思います。

私は『新建築』に、スペースシップモダニズムと書きました。つまり、宇宙船が空から落ちてきた、月面着陸船が月面に降りたということです。まったく新しい文化、異なる文化がこの場所に降り立った。だからこれはピロティ状に上がってなければいけない、地面とは接続されていないという表明なわけです。宇宙船ですから当然、外とは遮断された内部の空気がコントロールされているのだ、と。

もともとモダニズムの建物はそういったニュアンスが強かったのではないでしょうか。特に西洋的なものは場所性と切り離されたひとつの価値です。だけど、先ほどの藤井厚二のような人は、悪くいえばローカルモダニズムなのかもしれないけれど、何とか建築を場所に定着させようとしたのではないか、という気がします。そうなると、その場所の空気の話が当然でてきます。「ファンズワース邸」では、その場所の空気は一切関係ありません。日本であろうと北極であろうと、どこでも同じです。いかにガラスで透明性があってもこれはバッケージです。あくまでも閉じられた空間です。

ビルバオの「グッケンハイムミュージアム」は二十世紀を超えたか
ビルバオの「グッケンハイムミュージアム」
ビルバオの「グッケンハイムミュージアム」

ふたつ目はビルバオの「グッケンハイムミュージアム」です。これも去年見てきました。今、世界でいちばん話題に上る回数が多い建物で、フランク・O・ゲーリーという建築家がビルバオに呼ばれて建てたニューヨークの「グッケンハイムミユージアム」のアネックスです。これが二十一世紀の建物だといってさかんに褒めそやされていますが、人間というのは見たこともないものが出てくるとぴっくりして判断を誤るのではないかと思います。

私もとても期待を込めてこの建物を見に行きました。結果として私がいいたいのは、この建物も「ファンズワース邸」と同じだということです。つまり、特異な形やふるまいをしていますが、内部空間には、箱の中に閉じ込められたような、とても息苦しい感じがありました。

もちろんこのふたつの建物の形は極端に違います。けれども、ビルバオのグッケンハイムの中で感じたものと「ファンズワース邸」の中に足を踏み入れたときに感じたものが同じだったんです。それはなぜかと考えると、基本的にこれらの建物を支えているのは二十世紀のテクノロジー、エアコンディションの概念を基にしたテクノロジーだからだと思います。かたちの異様さや前衛性は確かにあるにしても、新しさを感じなかった理由はそれです。やはり二十一世紀の建物という評価は違うのではないか。本当に新しい建物が出現するとしたら、もっと違う空気をもっているのではないかと強く思いました。私は、基本的にはビルバオのグッケンハイムは古い種類の建物に属すると思っています。

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