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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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平田 晃久 - Human / Nature
Ojiya Complex
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2021 東西アスファルト事業協同組合講演会

Human / Nature

平田 晃久AKIHISA HIRATA


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Ojiya Complex

もうひとつの図書館のプロジェクトとして、新潟県小千谷市で「Ojiya Complex(2024年竣工予定)」を設計しています。小千谷市は3メートルくらいの積雪のある非常に雪深い街で、約35,000人のコミュニティがあります。この建物は図書館を核として郷土資料館等のさまざまな機能を重ね合わせた複合施設として計画しています。僕はまず、35,000の人の広がりと、図書館という具体的な場所、情報技術がどのように結び合うかということをテーマにして考え始めました。それから、建物として考えるというより、丘や崖、空、神社の森、道路といったものの中に環境をつくっていくような、半分雲のように存在するあり方がよいのではないかと思いました。敷地は越後三山が美しく見える、元もと小千谷病院が建っていて多くの人がこの場所を長い時間体験してきた、街の誰もが知っている場所です。そこに建てるということは、図書館を建てるという目的の他に何か全然違うことを引き寄せないと、病院の建っていた長い歴史を引き受けたことにならないなと思いました。小千谷市を地理的に見た時、信濃川と魚沼の方からの魚野川が合流し、その合流地点のところに山本山という硬い岩盤があるため、合流した信濃川がグニュグニュとうねって流れています。また、「小千谷縮」という麻織物が有名で、他にも錦鯉発祥の地だったり、西脇順三郎(1894〜1982年)というノーベル文学賞の候補になったシュルレアリスムに近いタイプの文学者の出身地でもあります。そこで、図書館だけれども、越後三山が借景のように見える庭のような場所をつくれるとよいのではないか、というのが今の僕の考えていることです。建物というより、土木構築物に近いものかもしれません。プロポーザルでは情報空間と実空間がどのように絡み合うかということを提案し、具体的な形はできるだけ提案しないようにしました。これは、プロポーザルのテーマでもありました。通常のプロポーザルの場合、ある程度強い形の提案をしなければトップになれないのですが、そういうテーマだからこそ、そうでなくても選ばれるかもしれないと思いました。僕が「太田市美術館・図書館」を設計して思ったことは、これまでのだいたいの建築の提案は先に確固とした建築の形式があってその形式の中でさまざまな配置が自由に変化するという話でしたが、これからはもっと自由に、対話の中から根本的な建築の姿が浮かび上がることもあり得るのではないか、ということです。ワークショップやデザインセッションを通じて、どういう形をつくるかということを考えた方が面白いし、「Ojiya Complex」のプロポーザルはそれが実践できるようなお題だったのです。

「「Ojiya Complex」敷地より越後三山を見る」外観

「Ojiya Complex」敷地より越後三山を見る

「小千谷市とその周辺の地形図」外観

小千谷市とその周辺の地形図

形のない初期設定として僕らは、書架が動くことを提案しました。書架が動くことで本の関係性が変わり、情報空間中のさまざまな情報の結び付きのうちのひとつが、書架の配列によってつくられていき、それが小千谷市をめぐるさまざまな自然や祭り等のバイオリズムと呼応する形で変わっていくというものです。ここでは「ルーフ」と「アンカー」、「フロート」という3つの建築的デバイスを提案しました。「フロート」は可動の書架や家具のことです。書架は、0〜9までの十進法の書架配列で、レールに沿って動くことで同じレールを辿れば系統立てて検索できます。一方、動く「フロート」の間を探索していくと出会い方がその時々で変わり、さまざまな関心のコミュニティがその時々で生まれ、バーチャルなコミュニティを実際の「フロート」の中で具体的なものにしていくことができます。「アンカー」は市民活動のためのさまざまな箱状のスペースのことです。演劇ができるような場所、お茶が飲めるような場所、というようにそれぞれがいくつかの市民活動に適した性能やプロポーション、備品を持った空間となっています。そして「ルーフ」は、これらの場所を小千谷市の深い雪から守る安定した屋根です。これらを組み合わせてモードチェンジが起こるような建物をつくっていくことを考えました。

「「フロート」「アンカー」「ルーフ」の3つの建築的デバイス」外観

「フロート」、「アンカー」、「ルーフ」の3つの建築的デバイス

「「フロート」のダイアグラム」外観

「フロート」ダイアグラム

「「フロート」の可動イメージ図」外観

「フロート」可動イメージ

この建築的デバイスのうち、「アンカー」で想定される使われ方を市民とのワークショップで浮かび上がらせることとしました。まずワークショップに参加された方にここで何をしたらよいかと伺うと、100個ほどの膨大なリクエストが出てきました。それをそのまま空間に落とし込もうとすると、7,000平方メートルぐらいが必要になります。しかし実際に当てがえるのは約1,500平方メートルで、限られた面積でさまざまな活動を包摂させるためには、時間の中での棲み分けが必要だと考えました。そこで、京都大学の僕の研究室メンバーに協力してもらって100を超える活動を3つぐらいの評価軸で総合評価し、その活動が要求する空間特性との関係から、グラスホッパーを応用してつくった簡易な数理モデルで分析し、活動の類似性を示したネットワーク図をつくりました。そのネットワークを見ながら、活動をグルーピングし、漢字1文字の名前を付け(例えばつくることに関係した活動群を“作”と呼び)、おのおのに対応した「アンカー」をつくることを考えました。このようにして活動相互の重ね合わせ、あるいは棲み分けを前提にした「アンカー」の種類と数を具体的に決めたのです。その後、それらを模型で表現して、再度ワークショップの場に持っていき市民のみなさんに投げかけました。そこでは、それぞれの「アンカー」をどのように使いたいか、どのような配置にするのがよいかということを議論しました。次に、そこで挙がった意見を元に、今度は「アンカー」同士の関係性を「ばねモデル」というツールで可視化しました。これにより、さまざまな人の意見を忘れずもれなく統合しながらプランニングを行うことができました。通常のワークショップでは、さまざまな意見をKJ法で分類する等してその場でコミュニケーションを取りながら手作業的に決めていくことが多く、限られた時間の中での議論を通して関係性をつくることが重要であると言えるかもしれません。今回は、ワークショップで出た市民の意見をできるだけ取りこぼさず持ち帰り、客観的な方法で僕たちの中で咀嚼して投げ返すということを重視しました。この方法は、母数が今回は100個の意見でしたが、それが仮に1,000個や100万個に増えたとしても実現できるかもしれず、集団の叡智を反映したプログラミングやプランニングを考える実験でもあり、そこにひとつの意義を感じています。 そして「アンカー」の配置に対して「ルーフ」を架けていくのですが、どこから何が見えるか、この場所がどのような地形の成り立ちをしているかということを、ワークショップで意見を出してもらいながら形を決めていきました。「ルーフ」の構造は、越後三山や小千谷縮を思わせるようなトラスを内包した構成を考えました。屋上は積雪を考慮して比較的平らなのですが、ちょっとした斜面がありそこから気球が上がる様子が見えるとか、花火が見えるといった多彩な活動ができることを考え、屋上のオープンスペースをデザインしています。

「「アンカー」の活動の類似性をネットワーク図で示し「アンカー」それぞれの空間を模型で表現」外観

「アンカー」の活動の類似性をネットワーク図で示し、「アンカー」それぞれの空間を模型で表現

「「アンカー」同士の関係を「ばねモデル」としてイメージ化」外観

「アンカー」同士の関係を「ばねモデル」としてイメージ化

「「Ojiya Complex」屋上平面図」外観

「Ojiya Complex」屋上平面

「「Ojiya Complex」1階平面図」外観

「Ojiya Complex」1階平面

「「Ojiya Complex」断面図」外観

「Ojiya Complex」断面

僕は、建物の外観は非常に重要だと思っています。ただ、外観というものは独立したものというより、それによって周りの見え方が変わったり、また、周りの風景と外観がブレンドされることで、印象深い状態になるということがよいのではないかと思っています。敷地に立ち、越後三山が見えている風景をスケッチしている時、僕はさまざまなことを思い出しました。少し話が飛ぶのですが、例えば縄文遺跡が点在している八ヶ岳の西南山麓の風景を思い出したのです。富士山側から八ヶ岳を望む風景は特徴的であり、この景色を眺めていると縄文時代の古代人もきっとこの同じ景色に特別なものを感じて暮らしていたのではないかという気持ちになります。小千谷市は、近くに火焔型土器が出土する十日町市や長岡市と同じ谷に属していて、縄文の文化が非常に有名なのですが、敷地から見える越後三山にも八ヶ岳の風景と同じような風景を呼び起こすものだと感じました。また、視線が抜けた先に整った山が見える場所を特別に感じる感性は、縄文時代だけでなく、たとえば静岡県の山宮浅間神社の遥拝所から見える富士山の景色や、京都の圓通寺の比叡山を借景している庭の景色にもあると思います。そう考えると、縄文時代の人が山を見ていた視線やそこに特別さを感じる感性が、時代を超えて連綿と引き継がれ、僕たち現代人にもある種の原風景として流れているのかもしれません。ならば、僕はこの「Ojiya Complex」の特別な風景に対して、そういうパースペクティブで応えられる建築をつくらなければいけないということを強く感じたのです。「八代市民俗伝統芸能伝承館(お祭りでんでん館)」では300年の歴史を感じながら考えていましたが、「Ojiya Complex」では、数千年というさらに長い時間の連続を感じます。もしその長い時間の連続の先に自分も接続しているという大きなオーダーで見ると、東京で設計事務所をやっている僕が、小千谷で小千谷の人たちの公共施設をつくっているという少しねじれた感じがする話も、自然にも思えてきます。また、連綿と引き継がれてきた長い時間と自分の中で繋がるものを見つけ、それを建築にしていくことができると、それはすごく面白いのではないでしょうか。その場所にある自然と、新しい情報、建築の人工性等が全部ひとつにブレンドされて、ひとつに共鳴するような状態を現代建築で表現できればすごくよいなと最近は考えています。人間と自然の関係もそんな視点から、古く、かつ新しく見直していけるのではないかと思っています。

以上で講演を終わります。ありがとうございました。

「平田氏によるスケッチ。左上:「Ojiya Complex」敷地から見た越後三山。右上:長岡市で出土した火焔型土器。左下:八ヶ岳を見る風景。中下:山宮浅間神社の遥拝所から見る富士山。右下:圓通寺から見る比叡山。」外観

平田氏によるスケッチ。 左上:「Ojiya Complex」敷地から見た越後三山。右上:長岡市で出土した火焔型土器。左下:八ヶ岳を見る風景。中下:山宮浅間神社の遥拝所から見る富士山。右下:圓通寺から見る比叡山


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