アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
——岡田 これまでの第一章から第四章では日建設計という組織が、どのような人たちで構成され、その組織の中でどのように設計していくのかについてお話しいただきました。それを聞いているだけだと、社内はチーム一丸となってプロジェクトに取り組んでいるように思われるかもしれません。そのあたり、実態をお話しいただけますか。
公式見解としてはみんな仲良くやっているということですが、実際はそうではないですね。どの設計組織でも同じだと思うのですが、自戒を含めて言えば、建築家というのはわがままで融通が利かず、自説を通したがる人たちです。博識かつ雄弁で、始末に負えません。ただ、この歳になって分かったこともあります。矛盾に思われるかもしれませんが、そういう人たちだからこそ面白い建築ができることもあるのです。
日建設計では人が一番の宝であることはお伝えした通りですが、だからこそ次の世代を育てていくことがとても重要です。頼もしいことに、40歳以下のスタッフが徐々に頭角を現しつつあります。彼らが会社の前面に立ち活躍する時代がもうすぐきます。上の世代の私たちは自らの経験や技術を彼らへと伝承しなければなりません。かつて新人だった私がプロジェクトを実現できたのも、先輩方が惜しみなく自身の見識を提供してくれたからです。そして最も大切なことは、一緒に仕事をしない限り重要なことは伝承されない、ということです。いくら丁寧に言葉で説明したり、マニュアルを作成しても、はたまた便利なシステムをつくっても限界があります。時間はかかるのですが、彼らと共に仕事をすることが結局は最も効率的な方法なのだと私は考えています。世代も違いますし、それぞれの思想もありますので、一緒に仕事をすればどうしても軋轢が生じます。私も上司と意見が合わず、それでもプロジェクトを進めないといけないという難しい状況を幾度となく経験してきました。その一つが、約20年前に東京・霞が関に設計した「大同生命霞が関ビル」です。日建設計が設計した大同生命の建物と言えば、バブル経済に沸く1993年に竣工した「大同生命大阪本社ビル」があります。バブル期の名作の一つです。その数年後に依頼いただいたプロジェクトですので、大阪本社のレガシーをどう引き継ぐかがテーマとなりました。上司とは意見が折り合わず、まさに軋轢が生じていました。軋轢を抱えながらも設計は進みます。基準階の平面は、ベアリングウォールとなる細い鉄骨が周りを取り巻き、柱の間には制振ダンパーが組み込まれています。内部に柱を排した無柱空間です。平面は、1.8メートル角のグリッドにきっちりと内接するように計画しました。吹き抜け空間の1階エントランスロビーは、天井から吊り下げたペンダントライトで照らされています。バブル期の建築のような派手さはないものの、大阪本社のコンテキストを継承したデザインになっているのではないでしょうか。軋轢がよい緊張感を生み出し、結果としてクライアントにも満足いただける設計に繋がったと感じたプロジェクトです。
「大同生命霞が関ビル」基準階平面
1階ロビー
外観全景
「山陽新聞社本社ビル」(2006年)も岡田さんと一緒に担当した仕事ですね。この時は、深刻なコストオーバーを引き起こして、設計を2度もやり直すなど、クライアントに大変な迷惑をかけてしまったという苦い思い出があります。敷地は西向きに正面があり、日射と熱負荷を軽減するため庇を3.6メートルほど張り出しました。さらに、地上部は「キーエンス本社・研究所」よりも高いピロティを設け、前面道路から敷地奥のプラザまで自由に往来できる設計です。難題を抱えていたのにもかかわらず、庇も原案の通り残す判断をされ、辛抱強く竣工までご指導いただきました。クライアントに大きな恩を感じています。
「山陽新聞社本社ビル」外観
矩計
——岡田 2022年の夏に「山陽新聞社本社ビル」を久しぶりに訪れる機会がありました。竣工から16年を経て、ピロティ回りの樹木や庇に載せた緑が豊かに成長しており、とても心地のよい場所になっていました。
私は先日、竣工から25年経った「加古川ウェルネスパーク」(1997年)を訪れまして、やはり植物が立派に成長していることに驚きました。建築は年月と共に劣化していくものですが、緑は竣工してからどんどん成長していきますね。建築はランドスケープの背景となっていました。植物など自然の力を借りながら設計することは、当時から心がけていましたので狙い通りでもあります。日建設計の大先輩である林昌二さんがおっしゃっていましたが「緑は七難を隠してくれる」のです。建築の不出来なところも、緑がうまく中和してくれるんですよね。
「山陽新聞社本社ビル」の張り出した庇
通り抜けが可能なピロティと植栽