アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
巨匠建築家と競い、幾度となく敗けを重ねてきた連戦連敗の経験をお話しします。
「大阪府庁舎指名設計競技」(1988年)では黒川紀章さん(黒川紀章建築都市設計事務所)に敗け、「大分市美術館コンペ」(1991年)では内井昭蔵さん(内井昭蔵建築設計事務所)に、「宮崎県立美術館プロポーザル」(1991年)では岡田新一さん(岡田新一設計事務所)に敗け、そのほかにも「国立国際美術館プロポーザル」(1995年)、「NHK大阪会館他プロポーザル」(1995年)、「万葉ミュージアムプロポーザル」(1996年)、「九州国立博物館プロポーザル」(1999年)、「島根県歴史民俗博物館建設工事設計競技」(2001年)などなど。ほかにも悔しい思いを数多く経験しました。海外のコンペに応募したこともあります。たとえば、2006年に行われたグンナール・アスプルンドの名作である「ストックホルム図書館」を増築するためのコンペは、社内でコンペ参加を認めてもらい応募しました。太陽高度の低い北欧であることを考慮し、トップライトを設けた建築を提案しました。「エジプト日本科学技術大学コンペ」(2009年)も国際コンペで敗けました。「新富山県立近代美術館プロポーザル」(2013年)は内藤廣さん(内藤廣建築設計事務所)に敗けています。提案は通らなかったもののプロジェクトへ参画する権利を獲得したのが「うめきた二期デザイン提案部門」(2013年)です。敷地いっぱいに立体庭園を提案しました。
「大阪府庁舎指名設計競技」(1988年)
「大分市美術館コンペ」(1991年)
「宮崎県立美術館プロポーザル」(1991年)
「国立国際美術館プロポーザル」(1995年)
「NHK大阪会館他プロポーザル」(1995年)
「万葉ミュージアムプロポーザル」(1996年)
「九州国立博物館プロポーザル」(1999年)
「島根県歴史民俗博物館建設工事設計競技」(2001年)
「兵庫県立考古博物館プロポーザル」(1991年)
「長崎県歴史文化博物館プロポーザル」(2002年)
「ストックホルム図書館コンペ」(2006年)
「エジプト日本科学技術大学コンペ」(2009年)
「新富山県立近代美術館プロポーザル」(2013年)
「大阪新美術館設計コンペ」(2016年)
「滋賀県立美術館増築計画設計プロポーザル」(2014年)
「うめきた二期デザイン提案部門」(2013年)
——岡田 これだけ敗け続けていて、そのうちいくつかは私もチームの一員として参加していました。どのコンペでも自信をもって提案していると思います。しかし敗けてしまった。そのとき、どのようにその敗けを受け入れているのですか。
時間が解決しますね。敗けた直後は嫌な気分を引きずりますが、時間が経つごとに段々と忘れていくものです。一つしかない敷地で多くの人が競うのですから、誰か一人(ひとり)に決めるしかありません。敗けた時は、違うところでコンペに勝って、別の機会でその敗けを取り返していくしかありません。そのために海外のコンペに応募することもあります。