アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
2020年の初夏ごろに「2025年大阪・関西万博」の会場デザインプロデューサーに任命していただいて、計画を進めてきました。万博のプロデューサーになるにあたっては、現代の万博にどのような意味があるのかを考えました。自分自身が心底納得して、絶対やる価値があると思えないとやり遂げられないと思いました。重大プロジェクトなので僕なりに1970年の大阪万博のことを調べたり、現代という時代はどういうものかを考えたりしながら、同時にこの会場計画を進めていきました。
万博は19世紀にロンドンで始まったもので、当時の最先端のものや珍しいものを競い合うような場でした。その後も、電球が発明されて夜に電気がついたり、エッフェル塔ができたり、当時の最先端をとにかく見せる場として発展しました。そのひとつのピークが1970年の大阪万博でした。ただ、現代では最先端のテクノロジーは各企業が研究していて、それぞれの企業のタイミングで発表するので、万博に行かなくても最先端のテクノロジーが見られます。では万博は意味がなくなったのかというと、僕はそうではない、むしろより意味が増してきているのではないかと考えています。万博には世界の150〜160カ国が参加します。そして昔からの仕組み上、半年間開催することになっていて、パビリオンを各国がつくります。パビリオンは、その国の持っている歴史、文化、伝統、美しい風景、気候風土、食べ物、アート、産業、服、音楽、人など、それぞれ違う160カ国の国そのものをすべて持ち寄るので、そこにそれぞれの国が現れるわけです。それが比較的小さな場所に集まって、180日間一緒にいるという場所は、今のところ地球上に万博しかないのです。例えば国連やオリンピックでは、国の代表がそこにいるだけで国そのものを全部持ち込んでいるわけではありません。しかも180日という長きにわたって世界中の国が集まって1カ所にいるというフォーマット自体が、実は尊い価値があるものなのです。特に現代は分断が叫ばれていて、まさに世界中で争いが起こっています。この時代にそれでも世界が1カ所に集まって一緒にいるというのは、とても素晴らしいことです。一緒にいるということはそこでコミュニケーションが生まれる、あるいは知らなかった国を知ることができるということです。ひとつひとつの国を知ると、「こんな伝統を持った国があったのか」、「こんな風景の国があったのか」、「こんな人たちがいたのか」とその先が生まれます。世界の未知なるものと出合って、未来をつくり出すためのこんなに素晴らしい機会は他にないのです。その時に会場計画でやれることは限られていて、まずは機能的につくらなければいけません。とはいえ会場計画全体で世界にメッセージを発信することもできます。そこで会場である夢洲の建物が密集しているエリアに直径約670メートル、1周2キロメートルほどの大きなリング上の屋根を会場の骨格として計画しています。
具体的には、万博の始まる前にパースを見たり、始まってからは航空写真を見たりした時に、「今、世界の8割の国が集まって一緒にいる」という感覚を、どんな文化圏の人でも子どもからおじいちゃん・おばあちゃんまで、一目見ただけで直感的に分かるものにしたいと思いました。その時にこのリングが出てきました。丸は単純極まりないですが、どこの国のどんな人が見ても丸です。また今回の万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」です。命は、ベーシックな定義としては単独では絶対存在できない、必ず他の命と何らかの関係を持ちながら存在し続けていくものです。そういう意味では、会場計画のコンセプトである「多様でありながら、ひとつ」は命そのものの定義にもなっていて、メインのテーマにも繋がるようにしています。そして世界がひとつのものを共有している、多様でありながらひとつであるというメッセージを会場計画として発信するために、丸が出てきています。
会場の中央には森をつくります。中央に何をつくるかというのは実は非常に大きなメッセージです。1970年の大阪万博では丹下健三(1913〜2005年)さんがお祭り広場の大屋根をつくって、その中央に「太陽の塔」をつくりました。前回の2020年ドバイ万博の時には直径約100メートル、高さ約70メートルの巨大なドームをつくっていました。万博の会場は人工物に溢れていますが、これからの時代には自然のものを中心に据えるべきではないだろうかということで、「静けさの森」という森を計画しました。直径約150メートルで中央に水盤のある場所をつくっています。この森が自然と人間が共生するこれからの社会の象徴になるようにしようとしています。
また、最近「2億円トイレ」で話題になってしまっていますが、若手建築家に20カ所施設の設計を担当していただきました。坪単価はむしろ標準的なトイレよりも安いぐらいです。しかも若手の建築家にデザインしてもらうという以前から決まっていた価格のままですので、値段も抑え気味にしています。20カ所はトイレだけでなく、休憩所やポップアップステージ、ギャラリーなども含まれています。1970年の大阪万博では黒川紀章(1934〜2007年)さんや磯崎新さん、菊竹清訓(1928〜2011年)さんなど、当時30代ぐらいの建築家がパビリオンや施設を設計して、その後世界的な建築家になっていきました。万博はこれからの未来をつくる若い世代を鼓舞して、そのための基盤をつくっていく大きな役割も担っていると僕は考えているので、コンペをやっていただきました。だからといって予算を上乗せするわけにはいかないので、万博協会が想定していたそれぞれの施設の予算の中で収まるように努力しながらつくっています。
ただ、もちろんこうした計画はメッセージを発信するだけのものではありません。それだけでは熱い思いを語っているだけの人になってしまいますが、僕は建築家ですので、言ってみれば都市計画のような複雑極まりない会場計画を解決するための設計をしています。そこもご説明します。今回はゲートが東西に2カ所あります。地下鉄で来る人、シャトルバスで来る人が東西から会場へ入ってきます。スムーズに人が流れるためには、大通りや広場のように1カ所に人が集まる方法では、身動きが取れなくなってしまいます。一方でリング状の動線は、必ず人が分散するようになっています。ただ、分散してどこに行けばよいか分からなくなるわけではなく、リングに沿って歩いていればメインのサーキュレーションの中にいるという安心感もつくれます。機能性という意味では、リングは混雑極まりない会場構成をする時にいちばんふさわしい動線なのです。リングは大体のパビリオンに面していて、リングの下に〇〇はこちら、△△はあちら、■■まであと何メートルというサインがすべて入っています。こうした主要動線があることで迷いにくく、来場者がどこに行けばよいか分かるようにしています。そして主要動線は日差しと雨から人びとを守らなければならないので、大屋根を載せています。幅は30メートルほどです。そのぐらいの幅がないと1日に十数万人、全期間で2,800万人という人数を捌けません。さらに、リング外周には会場内を移動するためのバスが通ります。万博会場は端から端まで1キロメートル以上あるので、歩いて移動しようとすると遠いのです。ただ、混雑する会場の中をバスが通るのは大変なので、歩行者と車両を完全に分離するために外周を通ります。リングがない場合は水際がバスの動線になってしまうため、人が水際に近づけませんでした。今はリングの下をバスが走る計画としたので、一部は人が水に近づけるようになっています。この水辺も特別な場所で、催事企画プロデューサーの小橋賢児さんの下、さまざまな検討が進んでいる噴水とウォータースクリーンの映像を交えたイベントが毎晩行われます。また、夢洲は埋め立ての島なので、津波が来ないように周りの護岸が海上から約10メートル、地上面からも約5メートル立ち上がっています。そのため会場からは海が一切見えなくなってしまっているので、リングの屋根の上に人が登ることができるようにしています。こうすることで万博会場を見下ろすことも、ウォーターショーを上から見ることもできるので、巨大な劇場のように使うこともできます。瀬戸内の美しい海も、夕日が沈む様も、大阪の夜景も見ることができます。リングを大きな展望台のような場所にすると共に、屋根上には約2万人が上がれるので、リングの動線の混雑緩和という役割もある場所にしようと考えています。
「2025年大阪・関西万博」会場配置
会場俯瞰イメージ
リング外観イメージ
リングは木造でつくっています。これも非常に明確なメッセージで、大規模な建築物や中高層の建築物の木造化は世界的な潮流になっています。持続可能な社会を考えていかなければならないこれからの時代、二酸化炭素量を減らしていくには木材利用は重要です。木は育つ過程で二酸化炭素を吸収します。ある時期で切って建材として使い、また新しい木を植樹します。そうして半永久的に自然の力で二酸化炭素を吸収しながら建築材料が手に入ります。自然と共生した素材で、しかも軽量で加工がしやすいので、世界各地でも僕のパリの事務所でも木造のプロジェクトが注目をされていて、政府を挙げてプッシュされています。日本は実は、大規模木造建築に関しては遅れています。ようやく2〜3年前からいろいろなプロジェクトが発表され始めていますが、世界の潮流に比べるとまだ遅れています。日本は1,000年以上の木造の歴史があり、森林も豊かであるにもかかわらず、世界の大規模木造の潮流に遅れているのは非常にもったいないことです。そこで、この万博で木造といえば日本が最先端に躍り出るんだということを世界に発信したいと思いました。逆に言うと、木造以外でつくると大変なバッシングに遭うぐらいに、世界は今木造に進んでいます。
単に木造でつくるのではなく、日本の伝統と最先端のテクノロジーを組み合わせた新しい木造を提案するべきだろうということで、柱と梁の組み方は清水寺の舞台と同じ組み方をしています。ただ、現在の耐震基準を満たすために金属も使っています。この大規模木造を最新の耐震基準に満たしてつくるために、金属も含めて先端のテクノロジーと木という素材をどう組み合わせるかというところにいちばんの価値があると考えています。さらに、使われているのはすべて集成材ですが、集成材の製造についても日本には最先端の技術があります。昔ながらのつくり方だけでは世界には追いつけません。むしろ伝統があるからこそ、最先端がどのように生かせるのかを考えるよい機会になっています。先ほど最先端のものを見る万博ではないと言いましたが、この場所に来ないと見られないものは必要です。リング自体が世界最大級の木造建築であり、日本の伝統と現代の技術の粋を尽くしたものですので一見の価値があると思います。
リング外観イメージ
リング下主要動線
リング屋根上歩廊イメージ
リング施工時の様子
地上で柱材と梁材を組み合わせた立体ユニットを、クレーンで吊り上げて組み立てる
リング下施工中
伝統的な貫工法で接合する
柱と横架材は金物で接合することで、剛性を増す
4年ほど前にプロデューサーのみなさんで現地に行きました。当時は何もできていない平らな埋立地で、広々とした場所でした。しばらくすると、全員が空を見上げていました。どこまで行っても平坦な場所で空が大きく見えて、とても印象的でした。その時に僕は、この場所に何をつくってもこの空には敵わないと思いました。だとしたら、この空を万博を象徴するひとつの大きな風景にできないだろうか。具体的には、リングの屋上屋根の外側を少し高くすることによって、空を丸く切り取れないだろうかと考えました。僕たちが空を見上げる時、たいていはビルや電線があって、その向こうに背景として空があります。そうではなく、空そのものが大きなもうひとつの地球のような形で目の前に浮かんできたらとてつもない風景なのではないか。この場所ならではの風景でもあり、会場に何万人の人が来てみんなが丸く切り取られた「ひとつの空」を見上げているというコンセプトあるいはその体験によって、多様性が繋がり合うという世界観を実体験として象徴的につくり出すことができるのではないかと考えています。しかも空は地球をくるんでいて、世界中どこからでも見えるひとつのものですが、常に変わっていきます。そういう意味では一期一会の体験にもなります。常に変化して同じではない多様なものでも、それが同時に「ひとつの空」であるというような体験をつくり出すことができるのではないかと考えています。
1970年の大阪万博で丹下健三さんがつくったお祭り広場の大屋根は穴が開いていて、丸い空が切り取られていました。科学技術の粋を尽くした大屋根は未来だと言われました。しかし岡本太郎(1911〜1996年)さんは、「いや、むしろ人の命がその先の未来だ」と穴を突き抜けたわけです。その時から空は、人間の命だけではなく地球全体のイメージを象徴する鮮やかな風景として、ここにつくられていました。ただ当時は、「太陽の塔」だけが空に向かって伸びていました。そこから50年以上の時を経て、この空をもっと大きく、世界中のパビリオンと地球上の人がみんなで共有できるひとつの空にして、もう一度この大阪の地に持って帰ってこようという思いも込めています。その意味では、1970年の万博をどうリスペクトして、そこから何を受け取って、われわれは未来に何を継承していくのかという時に、多様性が繋がる社会を未来に継承していきたいと思いました。特にこれから未来をつくる子どもたちと若い人に、世界の多様さに驚き、あるいは刺激を受け、本当の意味での素晴らしい未来をつくっていっていただきたい。そのための場所をわれわれは今設計しています。これは歴史的な出来事です。必ずや何にも変えがたい何かがそこにあるのではないかと考えています。
「ひとつの空」のイメージ
以上で僕の今日の話を終わります。ありがとうございました。