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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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北川原 温 - リアリティと概念
空間の余白に言語を散りばめる
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東西アスファルト事業協同組合講演会

リアリティと概念

北川原 温ATSUSHI KITAGAWARA


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空間の余白に言語を散りばめる

今日のテーマは「リアリティと概念」ということですが、これは概念がリアリティを構想していく、というふうに読み変えることもできるわけです。そういう設計の仕方や考え方と平行して気になっているものに「言葉」があります。

言葉は深く、大きな意味を持っています。しかし、それは言葉を見た人にとっての問題であって、言葉を目にし、呼んだ人が、そこにある特別な世界を発見していくわけです。そういうモチーフとしての言葉にたいへん興味があります。

ステァヌ・マラルメ 「骰子一擲」
ステァヌ・マラルメ 「骰子一擲」

19世紀末に逝去した詩人のステファヌ・マラルメは、19世紀後半から20世紀前半のヨーロッパの文学界に決定的な影響を与えた詩人です。マラルメの代表的な詩である「骰子一擲」を、フランス語はできないんですが、真似て筆で書いてみました。言葉が空間を構想していくことを意識しながら原書のコピーにいたずら書きしたものです。というのは「骰子一擲」は19世紀の詩としては非常に前衛的です。ページを開くと、紙面には文字がチョコチョコとばら蒔かれているだけで、あとは余白だらけなんです。つまり余白の中に文字を散りばめている、という感じです。当時はこの異様さに、あまりに難解でわからない、と賛否両論だったそうです。マラルメはここで、言葉がある特別の世界を指向していく、ということを、文章としてでなくある言語としていいたかったわけです。ある言語が空間の余白の中に置かれたときに、複数の言語の間に特別の相互関係が発生し、それによって空間が形成されていく。マラルメが建築をつくっていたら、きっとすごい作品が生まれていたことと思います。

ゴールドスプリングス
ゴールド
スプリングス

一種の無意識状態でマラルメの空間の中に散りばめた言語から構想され得る空間のイメージを僕なりに書いてみたという主観的なものにすぎませんが、この方法を応用して、目下設計を進めているプロジェクトが「ゴールド・スプリングス」です。敷地は広さが約七万平方メートルくらいある予防医学の医療施設です。いろいろな機能を持つ施設の集合体ですが、それらを敷地の中にレイアウトしています。そのレイアウトの仕方やそれぞれの建物のイメージに、マラルメの詩のように、空間の余白の中に言語を散りばめていき、相互の間に特別な関係が見えてきて、それによって全体の空間が規定されていく、という手法を採用しています。敷地は起伏のはげしい山の中にあるため、平面に配置される施設群とは異なり、各施設の間に上下関係も発生します。

Walter De Maria
Walter De Maria

マラルメは20世紀のシュール・リアリズムにとても大きな影響を与えました。 これはアンドレ・ブルトンというフランスのシュール・リアリズムのリーダー的な存在出会った人の書いた小説「ナジャ」の中に出てくる挿絵です。小説の主人公である、少し気の触れた女の人が描いた絵なんですが、これは一種のこどもの絵というか、精神病者の絵のような自動記述、無意識のうちに紙の上に描いたものです。シュール・リアリズムはそういう自動記述によって、ある特定のイメージ、特定の空間、特定の文脈を構想していく、ということを考えていたことの一つの象徴です。

実は、最近少しずつ大きなプロジェクトがやれるようになってきましたので、やや空間的に大きなものに興味が移っています。

フォンタナ「Paysage.1978」
フォンタナ「Paysage.1978」

これはフォンタナという写真家の作品です。自然の風景をただ写真に撮っているだけですが、自然はある特異な状態を示すことがある、という主張の写真です。なんということはない風景なんですが、こうして写真で見ると、自然の風景とは非常に大胆なものである、ということがわかります。

これはアメリカのアーチストであるワルター・デ・マリアが1976年につくった作品「稲妻の平原」です。雷がよく落ちる大草原の中に高さ五メートルぐらいの避雷針を四百本ほど立てています。避雷針といっても、これは誘雷針です。そして雷が勢いよく落ちてくる状態を写真家が写真に撮って作品にしています。これは自然の現象を特定の目でとらえたものといえます。アースワークの一種ですね。

アンドレ・プルトン「ナジャ」の挿絵
アンドレ・プルトン「ナジャ」の挿絵

次もやはりアースワークの一つで、さきほども出ましたクリストの「アンブレラ」プロジェクトです。広大な自然の中にかなりの数の大きな傘をある期間だけ広げる、そして撤去してしまうというものです。クリストにはまた、マイアミかどこかの島で、島のまわりをピンク色のビニールで囲ってしまったという作品もあります。これらの作品のもつ意味は深いものがあります。

クリストの有名な作品に「カーテン」というのがあって、約50メートルもの谷間にカーテンをかけてしまったわけです。これも、ものすごいスケールのものです。

ポン・ヌフというパリのセーヌ川にかかる橋がありますが、それを金色のビニールシートで完全に梱包してしまう、というクリストの作品があります。これもわずか数日の間だけで、すぐに撤去されてしまったものです。これらの作品は、社会的にどのように解釈できるものか、ということは非常に興味深いものがあります。

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