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東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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私の建築手法
團 紀彦 - デザインの発生学
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東西アスファルト事業協同組合講演会

デザインの発生学

團 紀彦NORIHIKO DAN


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はじめに

「世の中が今、どんどん軽く、透明性をもつ方向にいっているのに、どうしてそんなに分厚い壁とヘビーな建築をつくりつづけるのですか」と、よくいわれます。なるほど、そうかもしれません。それでは、その透明性や軽さが、どういう建築の理念から出てきているのか、と僕はときどき考えます。

今日は、実際の建築の話、また脳の中で建築がどのように胚胎されていくかをお話しようと思っています。

近代建築の一つの重要な概念、インベンションの一つとして「ユニバーサル・スペース」というミース・ファン・デル・ローエの空間の概念があります。ユニバーサルを日本語に訳すと「多様な」というような意味ですが、確か原広司先生がそれを「均質空間」と訳されてたのはそれほど昔ではないと思います。海外の学生と話をするとき、均質空間を直訳して「ホモジーニアス・スペース」というと、それはミース・ファン・デル・ローエの意味したユニバーサル・スペースとはまったく違うことを意味してしまうのです。ミースは、多様な人間の生活などに対応しうる一つの空間としてユニバーサル・スペースという概念を出してきたわけです。

建築家がものを構想するとき、空間というものもある意味で一つの理念だといえないでしょうか。ミース的なユニバーサル・スペースは、ある意味で人間の一つの理念、あるいは一つの脳の中の産物といってもいいかもしれません。建築家の脳の中の産物と現実の社会とのギャップは、常に反省されたり、あるいはいろんな問題を引き起こしたりすることが、建築の歴史だったのではないかと思うんです。

近代主義の中で、建築が最先端のテクノロジーを身にまとわなければいけないようなドグマが出てきたのも、二十世紀初頭の人間の脳に与えられた状況だったと思います。最先端の技術によって船や飛行機といったヘビー・インダストリーが生み出されたそのときに、飛行機や船のスケールがちょうど建築のスケールと合致したんじゃないか、と思うんです。もちろん超高層は二十世紀になって建てられるようになりましたが、天井高など建築のスケールは、おそらくバビロニアの頃からそう大きく変わっているわけではありません。そこにもってきて、二十世紀の初頭に機械がつくりだした文明が、非常に大きなイメージで影響を及ぼし、それが建築のスケールと一致したのではないかと思うんです。

ところが、今、最先端のメディア・テクノロジーや遺伝子工学は、スケールがどんどん小さくなってきています。建築のスケールと比較するとはるかに小さくなってきています。桂離宮の外観をまったく変えずに最先端のメディア・テクノロジーを入れることが可能になってきたのです。しかし、依然としてある種のテクノロジカルなシンボルを身にまとわなければいけないといったオプセッションだけが残っていりことはあると思います。

前置きが長くなりましたが、そういったユニバーサル・スペースという一つの理念の産物に相当するもう一つの理念について話したいと思います。これから申し上げることは、僕の建築が非常に重たいことの説明にもなるのではないかと考えます。

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