アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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槇 文彦 - 近作を語る
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2008 東西アスファルト事業協同組合講演会

近作を語る - 建築のグローバリゼーションの中で考えること

槇 文彦FUMIHIKO MAKI


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名古屋大学 豊田講堂
竣工当時の様子。北側ピロティより名古屋駅方面を望む
竣工当時の様子。北側ピロティより名古屋駅方面を望む

1960年、私が日本で初めて設計した建物が「名古屋大学 豊田講堂」です。この建物は現在、東京大学で言えば「安田講堂」のように、大学で親しまれている施設です。

この写真は今から50年近く前の様子です。当時は「豊田講堂」に立って名古屋駅の方を見るとずっと視界が開けていて、速くかすかに名古屋駅のシルエットが見えているという時代でした。それくらい竣工当時は何もなかったのですが、だんだん「豊田講堂」の周りにもいろいろな建物が増えてきました。しかし中央の軸線上だけには建物をできるだけ建てないよう、エスプラナードが前面広場も含めて完成しています。そして約50年後、幸いその改修も引き受けることになりました。かなり年月が経って内部機能を更新しなければいけないという他に、外壁の打ち放しコンクリートをもう一度椅麗にしようということで、トヨタ自動車グループの好意により改修が実現し、2008年の2月に完成しました。1960年当時、施工にかかった費用は坪10万円、全体で2000坪の建物なので約2億円でした。今回の改修予算はその10倍くらいになっています。非常に幸運だと思ったのは、この話が出てきたのが三年ほど前だったことです。おそらく今年であれば世界同時不況の影響で、実現していなかったのではないかと思います。

改修後の「豊田講堂」外観
改修後の「豊田講堂」外観

改修では、古くなった外装コンクリートの打ち直しと内部の設備、ホール機能の改善、その他にアトリウムの増設を行いました。まず外部は、表層のコンクリートを30ミリ削ってステンレスのメッシュを入れ、その上にかなり流動性の高いコンクリートを55ミリ打ち、結果として25ミリ打ち増ししました。そこにフッ素樹脂塗装を施しているので、今後かなり長い間保つことができるのではないかと思います。

外装のコンクリートは、今回の改修で打ち直された
外装のコンクリートは、今回の改修で打ち直された

もともと「豊田講堂」では「打ち放し」というのが、ひとつのテーマでした。古い打ち放し建物の改修はコストがかかり、技術的にも面倒くさいですから、塗装してしまうケースが多いんです。しかしわれわれはできるだけ元のかたちに復活させようとしました。当時の日本のコンクリートは、海砂などは使わず、非常に精度のよいものでした。構造設計は法政大学名誉教授の青木繁先生に担当していただきましたが、今回改修するにあたって耐震診断をしたら、上のシェルの部分を除いて、ほとんど補強する必要がないほどしっかりしているということで、そのまま構造外の改修にあたることができました。

1204席のホール
1204席のホール

ホールは大きな吹き抜け空間はそのままで、後ろの方を新しく打ち増しをしました。客席数は少し減らし、椅子を少し大きくして前後左右のディメンション(寸法)を豊かなものに変えると同時に、舞台も袖を拡張し、サポート機能もできるだけ充実させました。現在、このホールはいろいろなことに使われていて、たとえば今日はここで名古屋市の交響楽団が演奏会をやっているそうです。

西側より見る遠景
西側より見る遠景
アトリウムの増設前(右)と増設後(左)
アトリウムの増設前(右)と増設後(左)

またこの50年の間に、建物の周辺環境も大きく変わりました。前方には広場ができ、後方には1992年に竹中工務店の設計で「シンポジオン」という国際会議施設ができました。この「シンポジオン」と講堂をアトリウムで繋げ、広場へと有機的に連続させることも改修のひとつの目的でした。周りに木も増えました。そういう意味では「再生」というよりもむしろ「新生」したと言えると思います。非常に思い出の多いプロジェクトです。

断面
断面
1階平面
1階平面
配置
配置

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