アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
今日、お集まりいただいた方々のほとんどが建築に関わっていらっしゃると思いますが、最近、私が気になっているのは、こういった場所で私が話をして、皆さんに聞いていただく関係が、どの程度まで広がりをもっているのかということです。建築の世界は、ますます閉じる方向に向かっているような気がします。そのことが私にとっては、フラストレーションといってもいいくらいになっています。今日は、そのあたりを皆さんといっしょに考えていきたいと思っています。
私は、コンペの審査員をしたり大学で教えたりすることで、学生に接する機会が多いのですが、彼らのプレゼンテーションは非常に美しく、見事に問題を解いています。たとえば課題が図書館なら、きちんと敷地に納まった見事な図書館をつくってきます。コンピュータが発達していますから、CGで非常にきれいな絵を措いてくるわけです。しかし、それがいくらきれいでも、いくら見事に図書館として解けていても、こちらは感動できません。 ある敷地を与えられたらしっかりと敷地の中だけで考え、プログラムを与えられたらそのプログラムに従っただけで考えるという提案のされかたなのです。
つい最近、『新建築』で「地球にやさしい建築」という課題のコンペがあって、その審査員をしていて同じような気分になったのですが、建築をつくることは地球にやさしいはずがないのではないか、普通ならそう考えると思います。そうするとやはり、課題自体がもう矛盾を含んでいるわけですから、その矛盾に対してどういう解答が出るかを期待するのですが、本気で地球にやさしい建築を考えちゃったりするのです。それはやっぱりおもしろい解答にならないと思います。建築から発信するメッセージが届く先がないといったらいいのでしょうか。何か本質的なところに関わってないという感じを非常に強くもちます。