アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
篠原一男さんの『世紀の終わりの建築会議』という座談会集が出ました。篠原さんと八束はじめさんと私の鼎談だったのですが、そのときに、六十年代の後半から七十年代にかけて篠原さんが非常に精力的に住宅をつくっていて、毎回、私は雑誌を見るのが楽しみだったという話をしました。多くは『新建築』に発表されていましたが、篠原さんは過激といっていいくらいの、まったく新しい空間構成を提案されていました。それと同時に、篠原さんの住宅は、まったく新しい生活像をも提案していました。篠原さんはそれについて、生活に対して提案したわけではなく、空間構成について新しさを提案してきたと、そして結果的にそういうことがあったとしてもそれは目的ではなかったとおっしゃっていました。
結果的にであったとしても篠原さんのつくられた住宅は、今までの家族が住むような住宅とはまったく違う住宅の提案だったわけです。新しい空間構成と新しい生活像、もっといえば家族像をそこで提案し得ていたわけです。でもその当時のことを思い出すと、やはり私たちは新しい空間については考えたけれども、新しい生活像については、ずっと見落としていたような気がします。
私の記憶では黒沢隆さんが、六十年代に「個室群住居」という話をしていて、独自の提案をしていたように思います。それ以外は、個有の空間についてあるいは空間の形式というのでしょうか、新しい空間構成のあり方だけを考えることで建築をつくることができるというように確信していたと思うのです。ポスト・モダンという建築の形式にしてもずっとその延長上にあります。そうではなく、生活という言葉はもう少し空間と身体との関係に深入りした言葉なのだと思うのです。
さらにいうと、身体感覚は、私なら私という個人の感覚だけではなくて、常に共有されていると思うのです。私がある空間の中で感じることは、私以外のだれかも感じるから私自身も感じるのではないかということです。
私は、その共有の仕組みをつくるのが「空間」だと思います。空間的な体験というのは、身体的な経験であり、その身体感覚は共有されています。ということは、その空間を通して身体感覚が共有されているわけです。