アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
では、その本質的なところが何かというと、それはよくわからないのですが、ちょっとヒントになると思うことがあります。最近、「北野オフィス」という研究所のインテリアを設計しました。施主は北野宏明さんというコンピュータの学者なのですが、その人と対談をしました。そのとさ私は最初、北野さんに少し批判的な話をしました。
「北野オフィス」でする仕事が、ひとつはロボットの研究、もうひとつはバイオテクノロジーの研究です。「ロボカップ」といってロボットにサッカーをさせる競技がありまして、それを最初に発想したのが北野さんです。そこでは人間に近づく知能をどこまでロボットに関わらせることができるかという研究をしているのです。
バイオテクノロジーのほうは、たとえば、線虫は遺伝子がほとんど解明されていて、コンピュータのモニターの中で成長させていくことができるわけですが、突然変異がどうしたら発生するかということをモニターの中で研究しているのです。かたや生物の研究で、かたやロボットの研究です。
コンピュータの性能に応じて研究をしているのであって、北野さんの主体性はいったいどこにあるのだろうという感じがずっとしていました。
北野さんは、自分は人間の知能・知性がどこにあるかを知りたいというのです。ロボットの研究をしていても、線虫の研究をしていても、人間あるいは生物の知能・知性はどこからどういうかたちで発生するのだろうか、つまり非常に大きい枠組みの中で人間という個体について考えたい、そういう欲求があるのだといっています。生物とか物理とかいったジャンルを問わないというわけです。
聞いていて、私にはとても新鮮でしたが、われわれは逆じゃないかという感じがしたのです。建築というジャンルで建築家ができることはたくさんあるとは思いますが、目指していることは何かということについて北野さんのようにはっきり断定的にしゃべることができるかというと、相当難しい。たまたま仕事があるから、施主がいるから、与条件があるから仕事をしているのであって、その目指しているものが非常にわかりにくくなっているということがあると思います。