アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
大西本日は「愛される建築を目指して」という私たちがずっと考え続けてきているテーマについてお話ししたいと思っております。
まず初めに、私たちは東京の日本橋浜町にある、通りと繋がったビルの1階で事務所をしています。なぜこういうところで事務所を開こうと思ったかというと、それは私たちがどんなふうに建築の仕事を始めたかということと大きく繋がっています。
私は大学院を修了したのが2011年で、社会人になると同時に東日本大震災を経験することになりました。その後東北を訪れて、復興にまつわる活動に関わるところから自分の仕事を始めました。宮城県東松島のグリーンタウン矢本という工業団地で、伊東豊雄さんの事務所と一緒に「東松島こどものみんなの家(2013年)」をつくりました。当時約600世帯が住んでいた仮設住宅の中に、みんなで集まれる場所をつくろうというプロジェクトです。現地で、子どもたちが仮設住宅のちょっとした側溝や通りを遊び場にしているのを見て、建築が施設としてあるというよりも、子どもの遊びに合わせて建築の方が出かけていくような動く家がよいと思い、提案しました。小さな家が3つ集まってできています。そのうちのひとつが「お話と演劇の家」という名前の、アルミでできた車輪が付いた小さな小屋です。クリスマスの日に仮設住宅に住んでいるお父さんたちにトナカイやサンタクロースになっていただいて、その小屋を引っ張っていって子どもたちにプレゼントしました。また、施工する間は半年間仮設住宅の中に住まいを貸りて共同生活を送りました。共同体の中に入り込みながら新しい空間が立ち上がっていく瞬間を共に経験し、建築の持つ力というものを体感しました。
「東松島こどものみんなの家」全景
「お話と演劇の家」それぞれの家は縁側で繋がる
「テーブルの家」
この経験から、自分たちが事務所を開く場所も、ローカルだと思えるようなところがよいと考えました。そして選んだ日本橋浜町のビルの1階は、元もとガレージだった場所で、最初は中と外を隔てるのはシャッターだけでした。シャッターを開けると八百屋さんのように中と外が繋がっているような事務所で、ある時は子どもたちが模型を見に遊びに来たり、またある時は通りにはみ出すようにレクチャーをしたり、地域の方が来てくださったり、といったかたちで地域との豊かな関係性が生まれています。
日本橋浜町の事務所「浜町LAB.(2019年)」外観
室内から前面道路を見る