アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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槇 文彦 - 豊かな空間構成を目指して
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豊かな空間構成を目指して

槇 文彦FUMIHIKO MAKI


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1960年代とアーバニズム

私は建築を志してから70年ほど経ち、昨年90歳を迎えました。初めに、少し昔のことをお話ししたいと思います。東京大学時代は丹下健三(1913〜2005年)先生の師事を仰ぎ、その後、1960年にメタボリズムという建築の活動をスタートさせました。同志には、菊竹清訓(1928〜2011年)さん、大髙正人(1923〜2010年)さん、黒川紀章(1934〜2007年)さんがいましたが、残念ながら皆さんお亡くなりになられました。ちょうど同時期には、ヨーロッパではチームⅩという各国の若い建築家のグループがいて、偶然、彼らの会議に出席させていただくことがありました。アルド・ファン・アイク(1918〜1999年)やピーター・スミッソン(1923〜2003年)、ジャンカルロ・デ・カルロ(1919〜2005年)、ヤコブ・バケマ(1914〜1981年)といった人たちが会議にいました。

東京大学卒業と同時に、ハーバード大学大学院、正確にはクランブルック美術学院というところに行き、その1年後にホセ・ルイ・セルト(1902〜1983年)のスタジオで建築を学びました。1960年にハーバード大学にアーバンデザインプログラムができた時に、私はセルトに呼ばれてそこで数年間都市デザインを教えました。丹下先生は広島の平和記念都市計画のプロジェクトが評価されてCIAM(近代建築国際会議)に招待されました。セルトもCIAMのヘッドを務めていて、そこで国際的な脚光を浴びました。彼は積極的にCIAMのメンバーを大学に呼んでくれました。ハーバードには来ませんでしたが、ル・コルビュジエ(1887〜1965年)は当時最も影響力のある人で、彼が常に蝶ネクタイをしていたので、われわれも真似をして蝶ネクタイをしていました。

1958年に大学からフェローシップをもらい、その後の2年間は今まで行ったことのな いところに行きたいと考えました。最初に香港、シンガポール、ムンバイ、チャンディーガールに行き、コルビュジエに会って、それから中近東をずっと回ってヨーロッパに行きました。1960年には結婚していたので新婚旅行を兼ねてイスラエルからやはりヨーロッパを回り、もう一度アメリカに戻りました。今のシンガポールには超高層ビルがたくさん建っていますが、当時はどちらかというとチャイナタウンが圧倒的で、それが印象に残っています。スウェーデンの小説家のヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(1849〜1912年)の『ダマスカスへ(1904年)』という小説の影響でシリアのダマスカスへ行き、同時にレバノンのベイルートへも行きました。ベイルートは中近東の中でも気候が温和です。この時、私は初めて地中海を見ました。その翌年には、ギリシャのイドラという街へ行きました。ここは車がなく、ロバと人間だけがいるとてもヒューマンな街でした。おそらくこの時期に私の中で「群造形」に対する考え方が出てきたと思います。

私がハーバード大学で教えるようになった時には、どちらかというと誰もがまだ都市計画・アーバンデザインに興味を持っていた時代でした。その中心には、ケヴィン・リンチ(1918〜1984年)やデイヴィッド・クレイン(1927〜2005年)がいました。ここで紹介しておきたいのは、当時の著名な建築家や歴史家がアーバニズムについてさまざまな本を書いていたことです。そういう時代の中で、私は空間派だったと言えるでしょう。他にも、象徴派や視覚派などさまざまな建築家やアーバニストたちがいました。1950〜60年代はそういう時代だったのです。

その後、1968年にフランス・パリで権威に対する大きな運動である五月危機が起きました。それを機に、市民中心のアーバニズムへと移行していくことになりました。メタボリズムやチームⅩのミーティング、丹下先生のオリンピックの「国立代々木競技場(1964年)」もある時代です。アーバニズムは、今でも違うかたちで進行していますが、当時、さまざまなアーバニズムの動向があったということが、私にとって重要なことでした。


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