アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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槇 文彦 - 豊かな空間構成を目指して
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豊かな空間構成を目指して

槇 文彦FUMIHIKO MAKI


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ヒルサイドテラス
「ヒルサイドテラス」鳥瞰

鳥瞰

今から50年ほど前に、東京都渋谷区に「ヒルサイドテラス(第1期:1969年〜第7期:1998年)」という集合住宅の第1期が完成しました。敷地周辺は当時、既に旧山手通りという立派な道があったものの、まだ静かな屋敷町でした。1976年まで私の事務所で働いていた元倉眞琴(1946〜2017年)さんも「ヒルサイドテラス」の設計に携わり、独立された後は「ヒルサイドアネックス(1985年)」をつくりました。当時はこのあたりはまだ第一種低層住居専用地域だったので、十分なオープンスペースを所どころにつくることができましたが、第6期の時は、都市計画が変更となり第二種低層住居専用地域になったことを受けて、建物の最高高さがこれまでの3階建てから5階建てまで建てられるようになりました。そこで旧山手通り沿いの軒高を合わせるため、4、5階をセットバックしています。

バリー・シェルトンというシドニー大学の建築都市デザイン都市計画学部の名誉教授をされている方がいますが、彼はさまざまなかたちで都市への提案を行っています。特に面白いと思ったのは、名古屋の都市の研究です。立派な道路沿いには大きな建物ができる一方、少し中に入ると古くて狭い路地があり、そこに面白い建築ができるという構造になっています。旧山手通りは幅員が22メートルもあるので、シェルトンが言うような日本の都市の特殊性からすると、高い建物が建っても少しも不思議ではありません。しかし、「ヒルサイドテラス」は、ヒューマンなスケールの建築群になっており、これは珍しいケースです。私は通り沿いの建物とその内側の建物を「皮」と「あんこ」と称しているのですが、「ヒルサイドテラス」は皮に直接あんこが付いている状態です。「ヒルサイドテラス」は朝倉家が自分の土地を提供し、これからの都市はもっと広い道をつくらなければならない、しかし、高い建物を建てるのはやめようということを目指して生まれた特殊なケースで、さまざまな場所に小さな広場ができています。第1期はコーナープラザがあり、中に入って通り抜けることができます。第2期は中庭方式で、店舗群に囲まれた空間をつくり、第3期では古くからここにある神社の周りに建物をつくりました。第6期には南に向かって広場をつくっています。どれも少しずつ違います。容積率が低かったため、このようにさまざまなスペースをつくることができました。「ヒルサイドテラス」のようなヒューマンなスケールの建物は、超高層ビルの低層部とは異なり、限られた人びとが住む場所として一種のコミュニティを生みます。

左に「ヒルサイドテラス」第6期G棟(手前)とF棟(奥)、右にデンマーク大使館を見る

左に「ヒルサイドテラス」第6期G棟(手前)とF棟(奥)、右にデンマーク大使館を見る

第3期D棟から第2期F棟を見る

第3期D棟から第2期F棟を見る

かつて、20世紀の大事な建築を取り上げて、どの建物が若い建築家にとって学ぶことがあるのかという投票が企画されたことがあります。候補にはザハ・ハディド(1950〜2016年)の建築もありました。結果は、1番目がミース・ファン・デル・ローエ(1886〜1969年)の「バルセロナ・パビリオン(1929年)」。2番目にコルビュジエの「サヴォア邸(1931年)」と1緒に「ヒルサイドテラス」が入りました。これは「ヒルサイドテラス」のヒューマンなコンプレックスが、世界的に認められてきたということだと思います。

第2期C棟プラザ

第2期C棟プラザ

第6期F棟のパブリックスペース

第6期F棟のパブリックスペース

第5期集会室

第5期集会室

第6期F棟とG棟に囲まれた広場

第6期F棟とG棟に囲まれた広場


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