アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

トップ
私の建築手法
槇 文彦 - 豊かな空間構成を目指して
風の丘葬斎場
2022
2021
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986

2019 東西アスファルト事業協同組合講演会

豊かな空間構成を目指して

槇 文彦FUMIHIKO MAKI


«前のページへ最初のページへ次のページへ»
風の丘葬斎場
「風の丘葬斎場」南側公園からの全景

南側公園からの全景

「風の丘葬斎場」中庭

中庭

大分県中津市という人口10万人ほどの街に「風の丘葬斎場(1997年)」をつくりました。葬斎場というのは誰もが喜ぶような公共施設ではないので、どのようにつくるべきかということを考えました。当時の中津市長が、大きな公園の後ろに隠れたかたちで葬斎場をつくり、見た時に誰も分からないような建物がよいのではないかと提案されました。そこで建物の一部をすり鉢状の楕円の広場によって少し埋め、建物の高さが小さく見えるようにしました。建物南側に設けた公園から見ると、葬斎場が彫刻群のように見えます。この公園に遊びに来る子どもたちは、後ろに葬斎場があることを知りません。

「風の丘葬斎場」待合ロビー

待合ロビー

「風の丘葬斎場」エントランスポーチ

エントランスポーチ

「風の丘葬斎場」1階平面

1階平面

「風の丘葬斎場」南立面

南立面

建物のエントランスポーチを通り抜けると、告別室があり、ここで家族が故人と最初のお別れをします。その先に炉前ホールをつくりました。炉前ホールに面した中庭には、出ることはできませんが水盤と空を眺めることができます。遺体が焼かれている間に家族は、待合室や待合ロビーで時間を過ごします。そして納骨室で、お骨と灰をそれぞれが自分のポットに分け合って帰ります。この建物が完成してから中津市に行った時に、街の多くの人が「これでわれわれは平和に死ねます」と言ってくださいました。

それは、これまで私が建築家をやってきた中で最大の賛辞だと思っています。


«前のページへ最初のページへ次のページへ»