アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合

東西アスファルト事業協同組合講演録より 私の建築手法

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坂 茂 - 作品づくりと社会貢献の両立を目指して
ラクイラ仮設音楽ホール
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2023 東西アスファルト事業協同組合講演会

作品づくりと社会貢献の両立を目指して

坂 茂SHIGERU BAN


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ラクイラ仮設音楽ホール

イタリアのラクイラというローマの北東にある音楽の街は、2009年に地震で被災しました。地震の後にすぐ現地へ行って市長さんに会うと、仮設の音楽ホールを設計してほしいと言われ「ラクイラ仮設音楽ホール(2011年)」を計画しました。地元にオーケストラや音楽学校があったのですが、コンサートホールが全壊してしまったので、仮設の音楽ホールがほしいということでした。設計を始めてしばらくすると、ローマにある日本大使館から電話がかかってきて「何をやっているんですか」と尋ねられました。仮設の音楽ホールを設計していることを話したら、日本政府が支援してくれることになりました。

当時イタリアのリゾート島にG8サミットを誘致していましたが、この地震で急遽ラクイラで開催されることになりました。サミットの会見で当時の首相だった麻生太郎さんとイタリアの首相のベルルスコーニさんが紙管を持って「ラクイラ仮設音楽ホール」をPRしてくださって、その会見のおかげで約6,000万円のお金が集まり、完成させることができました。250席の小さな仮設ホールですが音響はよい必要があるので、普通はコンクリートの壁で内外の音を遮断するところを、軽量鉄骨のフレームの中に砂袋を詰めて遮音性能を高め、寄付してもらった赤いカーテンを周りに巻いて設置しました。さらに音響効果のためにホールの中にいろんな直径の紙管を並べて、吸音と反射のバランスを整えました。中の紙管は構造体ではないですが、外の紙管は構造体です。その周りにポリカーボネートの開閉可能な壁を設置しています。オープニングセレモニーでは西本智実さんが指揮をしてくださいました。

「ラクイラ仮設音楽ホール」東側外観

「ラクイラ仮設音楽ホール」東側外観

ホールで開かれたコンサートの様子

ホールで開かれたコンサートの様子

ホワイエよりコンサートホールを見る

ホワイエよりコンサートホールを見る

2009年にはカリブ海にある島国のハイチでも大地震が発生しました。島の左半分はハイチ、右半分はドミニカ共和国が統治しています。首都であるポルトー・プランスは被災して空港も港も全部閉まってしまったので、ドミニカから陸路で7時間かけて訪れました。現地では何も入手できなかったので、ドミニカのサントドミンゴの大学と協力して、紙管とシートの仮設住宅、シェルターをデザインして地元の人たちに教えてつくってもらいました。

2011年には東日本大震災が起こりました。阪神・淡路大震災の時は教会のボランティアで手一杯だったのですが、東日本大震災で日本の避難所はプライバシーがまったく守られていないことに気付きました。避難所においてもプライバシーというのは最低限絶対に守られるべきだと思います。ただ、避難所に行ってみると世帯ごとの人数はそれぞれ異なるので、2004年の新潟県中越地震から開発を始めた紙管の間仕切りを、フレキシブルに家族の大きさによって調整できるようにした現在の第4バージョンを避難所に持っていきました。初めはどこの避難所からも断られましたが、岩手県の大槌町で使ってもらえることになりました。大槌町は津波で町長と町の職員も大勢亡くなられていて、避難所として使われていた大槌高校の体育館は物理の先生が管理していました。その物理の先生に導入を快諾していただき、1週間で500世帯分をつくって納品しました。間仕切りの組み立ては簡単で、太い紙管に細い紙管を刺し、安全ピンを使って布を吊るだけ。各世帯の人数に合わせて2×2メートルのユニットを連結してつくります。東北で80の避難所にあたって、最初の30カ所では断られましたが、大槌高校で導入された事例が報道され、後の50カ所の避難所で合計2,000ユニットを3カ月でつくりました。

2020年の熊本の豪雨被害では、ちょうど新型コロナウイルス感染症が蔓延しているタイミングで、お医者さんが紙管の間仕切りシステムを見て「これは飛沫感染防止に非常によい」と言っていただいたことから、15年間開発を続けてようやく内閣府に避難所の標準として認定してもらいました。今では立川の内閣府の防災倉庫にも備蓄していただいています。

東日本大震災で避難所に設置した紙管のパーテーション

東日本大震災で避難所に設置した紙管のパーテーション


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