アスファルト防水のエキスパート 東西アスファルト事業協同組合
自分で論理的に可能だと思うことは、諦めなければ絶対できるはずだと思っています。ところが、前例がないことや面倒くさいことは、一緒にやっているエンジニアや業者も避けようとします。若いスタッフもそれを鵜呑みにしてしまうので、いろんな方法を考えてやってみせて実証しているつもりです。年々諦めがどんどん悪くなっていますね。
僕はバックミンスター・フラー(1895〜1983年)やフライ・オットーといった、材料や構造の開発をした建築家に憧れていました。だから、いつか自分独自の材料を開発したいなと思って紙管の構造を使ったり、それ以外でもいろんなものを使うようになりました。世の中にあるものは構造的な確認をすればどんな材料でも建築に生かせる確信があります。たとえば、「家具の家(1995年)」は構造がひとつもなく、タンスやクローゼットという大型の家具を構造としてつくりました。そうやって身の周りにあるものを構造として使えないかということを考えながら、少しずつ進歩させようとしています。
よい建築家になるためには世界中を旅行してよい建築を見るしかないです。アルバイトしてお金を貯めて、とにかく旅行をしてよい体験をしてください。
最初は会社のお金を使っていました。神戸の仮設住宅「紙のログハウス」はほとんど自費です。「紙の教会」は神父さんからの許可はもらったものの、お金は自分で集める必要がありましたから、ラジオに出たり展示会で募金を集めたりしました。それでも集まらなかった部分は教会の方で出していただきましたけれども、お金集めのためにも駆け回っていました。活動が周知されるにつれ、ホームページを見て寄付してくださる方やクライアントや企業から寄付いただくことも増えました。でも、災害支援は寄付が集まってから活動するのでは遅すぎるんです。お金の目処が立たなくても、まず行動してその後になんとかなるようにお金集めをする。結果として、ほとんど自転車操業状態で、いろんな助成金をもらったり賞をいただいた時の賞金を使いながら続けています。
僕は空間づくりに専念して、設備については開発している人たちと組んでやっています。仮設住宅で本設になるものはすべて既製品のユニットバスを使っています。また、なるべく共用のシャワーとトイレの施設があるところに仮設住宅をつくっています。事前に場所を設定して準備できるとよいのですが、なかなか準備できていないのが実状です。いつどこで地震が起こるか分からないので、どうしても場当たり的になることがあります。便利な場所は地元の人たちがいちばん知っているので、僕が行って適切な場所を探すのではなくて、地元の人たちや役所の人たちに教えてもらいます。
とてもよい質問です。よいことをやってるつもりでも、必ず軋轢はあります。例えば、すでにテントやダンボールの間仕切りを導入した街では、たとえ僕たちの製品の方が性能がよくても納品させてくれません。間仕切りシステムの供給に関して、そういうことが起こらないよう、平常時に自治体とわれわれのボランタリー・アーキテクツ・ネットワークとで防災協定を結んでいて、現在は50以上の市や県と連携しています。